まだ島民2000人が残っていたのに…日曜劇場の舞台・軍艦島50年前の閉山が「最悪のタイミング」だったワケ
■1974年は夜の街のネオンサインが消える非常事態だった 「まだ石炭は採れる」という炭鉱員と、「保安上、事故のリスクなしに採れる石炭はもうない」とする会社との間に考えの違いがあったようだが、既に1960年代から、国はエネルギーの転換を図っていた。石炭から石油へ。炭鉱の閉山が相次ぐ中、端島は採れる石炭の質が良いということで、三菱の炭鉱の中でも最後まで残された場所だったのだ。 燃料源を日本では採れない石油に転換することで、エネルギー自給率は58%から15%へと激減していくのだが、そんな中、ニクソン・ショックによる円高不況に続いて第1次オイルショックが始まり、「やはり日本で採れる石炭を活用すべきではないか」という意見は、国会でも新聞紙上でも盛んに言われていた。そんな矢先の、バッド・タイミングな端島閉山。 オイルショックと言えば、スーパーの棚からトイレットペーパーがなくなっているニュース映像が思い浮かぶ。政府は国民に節電を呼びかけたが、効果が低く、ついに強制力を持つ電気使用制限等規則により「デパートの営業時間短縮、エスカレーター運転中止」「ネオンサインの早期消灯」「ガソリンスタンドの日曜日休業」「テレビ深夜放送の休止」などの制限をかけた。東日本大震災直後を連想させる非常事態である。 ■インフレが起こり、求人もない中で端島を出た人たちはどうなったのか 物価は乱高下し、インフレになり、不況の嵐が吹き荒れ、人々の暮らしは苦しくなっていく。1974年のGDPは戦後初めてマイナスに転じた。 そんな中で端島に残っていた人たちが職を失うのは、まさに最悪のタイミングだったに違いない。 「海に眠るダイヤモンド」最終回では、食堂の娘・朝子(杉咲花/宮本信子)や、炭鉱長の息子・賢将(清水尋也)とその妻・百合子(土屋太鳳)、そして閉山のときは島にいなかったという鉄平とリナの離島後の人生が明かされる。この3カ月間、見守ってきたキャラクターたちの終わり方がハッピーなものであるように願わずにはいられない。 ---------- 村瀬 まりも(むらせ・まりも) ライター 1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。 ----------
ライター 村瀬 まりも