元うたのおねえさん・小野あつこ 沖縄の祖母が「戦争は怖い」以上のことを語らなかった理由 子どもたちにつなぐ思い #戦争の記憶
この事実を知ったとき、もしかしたら私の祖母は、自分の父が米軍に銃で殺される瞬間を実際に間近で見ていたのかなと思いました。10代でこんなに壮絶な経験をしていたら、それは絶対に人に話せないですよね。
だから祖母は『戦争は、本当に怖い』という、それ以上のことを語ってこなかったのかなと思うと、ものすごく深い傷を負いながらその後も生きていたんだなって。今の私たちには想像もできないことです。母もこのことは本を通して初めて知ったそうで、絶句していました」
祖母から母へ、受け継がれる思い
小野さんは小さい頃から聞いていた、祖母の口癖が忘れられないという。 「『若いときに勉強をしたかった、私に学があったら』というのが祖母の口癖でした。私が中学生の頃に亡くなったのですが、納棺の際も棺にノートと鉛筆を入れました。戦争で学ぶ機会が奪われてしまったことが、ずっと心にあったみたいで。祖母がたくさん苦労をしてきたというのは、親戚が集まるたびに聞いていました。子どもが5人いるので、祖母は子育てをしながらいくつも仕事を掛け持ちして、畑作業もして。子どもたちの着る服も自分で作っていたようです。戦後はとにかく生きていくことで必死だったと。
きっとやりたいことはたくさんあったんでしょうけど、生活のために勉強をすることはできなかったんだろうと思います。祖母は、自分の子どもには大学に行ってほしいと思っていたようです。娘である母も、働きながら夜間の大学に通っているので苦労しているのですが……。私が大好きな音楽の道に進んで、大学院まで卒業させてもらえたのは、祖母の思いがあって、母の思いがあって、そういう受け継がれた思いがあるからだろうなと感謝しています」
「金武町は私を育ててくれた大切な場所なので、何か還元できたらいいなと思っているんです。祖父母が生きていたら、きっとすごく喜んでくれたよね、とみなさんから言われました。ピアノの練習をさせてもらっていた公民館のホールで、就任式典のあとにコンサートをさせていただきました。亡くなった祖父母もきっと見守ってくれていると思います」 観光大使に就任してからの心境の変化について聞くと、小野さんは「『金武町って、基地があるところだよね』と沖縄の方から言われることが多くてびっくりしたんです」と話す。 金武町にはキャンプ・ハンセンという米海兵隊の演習場がある。町によると面積は49,787千平方メートルで、沖縄県内でも最大規模の実弾射撃演習が実施されているという。 「私からすると、金武町は自然が豊かで親戚との楽しい思い出がある場所というイメージが強いです。ただ、町内のいくつかの保育園でもコンサートをさせていただいたんですけど、子どもたちが遊んでいる保育園の園庭の上空にも軍用機が飛んでいて大きな音もしました。昔、祖父母の家でテレビをつけて、米軍の方向けの英語の番組を見ても、子どもの頃はそれに対して何の疑問も抱かなかったように、ここで生まれ育った子どもたちは、これが当たり前の生活なのかなと。東京と沖縄を行き来していると考え込んでしまいます」 「金武町はタコライスの発祥の地としても有名なのですが、そういった文化や自然の豊かさという明るいイメージとは逆に、夜の繁華街には米軍の方も多く見かける……、同じ沖縄県民のなかでもそういう印象を抱く方がいるのが現実だというのは観光大使就任後に感じたことです。難しいことではありますが、課題と向き合いつつ、町の魅力を県内外の方に伝えていきたいなと思っています」