ひめゆり学徒隊を率いた「沖縄のナイチンゲール」 壕の実相・沖縄戦79年(下)
捕虜収容所で看護を手伝っていたノブは孤児院に勤務。戦後は米軍が仮設の病院を建てると看護婦長に任命され、米公衆衛生院看護顧問のワニタ・ワーターワースらとともに、沖縄の看護の再建と人材育成に尽力した。
昭和60年、沖縄県出身者として初めて看護の世界的栄誉、フローレンス・ナイチンゲール記章を受章したノブは「戦渦に散ったひめゆりの乙女たちと、仲間の医師や看護婦たちへささげる」と語った。
沖縄の島言葉で使命を意味する「すくぶん(職分)」。松岡さんの夫で、真玉橋ノブ研究所の事務局長を務める良幸さん(51)は「ノブは祖国に尽くしたいと従軍看護婦の道を選び、すくぶんを全うした。そういう沖縄の女性がいたということを知ってほしい」と語り、こう続けた。
「戦後80年に向け、沖縄と本土を分断するような歴史教育を見直していきたい」
(大竹直樹)