次々と明るみに出る「宗教者による性暴力」…“自分の性欲に悩んだ”現役牧師が気づいたこと
現役牧師が「性暴力は決して他人事ではない」と語るワケ
世界中で相次ぐ聖職者による性暴力報道に、現役牧師の沼田和也氏は複雑な気持ちだという。許せない、そしてやるせない思いを持つと同時に、「他人事ではない」という思いも去来しているからだ。 「いくら牧師が神に仕える者であろうと、ひとりの『人間』には違いありません。そうなると、性は無視できない存在になってくるのです。公の場で性を語ることが一層難しい立場だけに、人より“抑え込む時間”が長くなってきます」 そんな沼田牧師も、これまで幾度となく「性」について悩んできたという。 「私も仕事でストレスが溜まっているときには性欲が強くなります。街を歩いていて、綺麗な人を見ていやらしいことだって考えます。特に私は、X(旧Twitter)のフォロワーが宗教者としてはまあまあいて、『投稿を見て教会にきました』という若い女性と触れ合う機会も多い。いつか、どこかの瞬間でムラッと来てしまうことがあるかもしれない。以前は、こんなこと恥ずかしくて口が裂けても言えませんでした。言うべきじゃないし、言ってしまったら神父をクビになってしまうと」
性について語り合える場所が必要
その悩みが解消されていったのは、本の執筆作業を経てからのことだった。 「以前『弱音をはく練習』っていう本を書いていたときです。そこで、はっきりと自分の性欲について書いてから、真正面からその悩みに向き合えるようになりました。性欲とは、抑え込むものではなく、自覚して折り合いをつける存在なんだと気づいたのです」 沼田牧師は、「牧師には軽やかに性について語り合える場所が必要だ」と語る。 「性暴力を防ぐためには、『性暴力はいけない』とだけ言っていても何の意味もないと思っています。アルコール依存や薬物依存の治療のように、特殊な環境に置かれている牧師や神父が性の悩みを打ち明ける場所があってもいいんじゃないでしょうか。そういう場所がないから、孤独になって、一人で性的な欲望を抱え込んでしまい、どう向き合っていいのかわからなくなり、暴発してしまうと思うんです」 聖職者の環境も時代とともに変わることが求められている。これは、キリスト教に限ったことではないだろう。 【牧師 沼田和也氏】 王子北教会牧師。10代後半から断続的に引きこもり、’04年より伝道者の道へ。著書に『牧師、閉鎖病棟に入る。』(実業之日本社)など 取材・文/週刊SPA!編集部 写真/産経ビジュアル アフロ ―[宗教2世が語る[性暴力の実態]]―
日刊SPA!