【毎日書評】その劣等感をどう活かす?アドラーのことばで知る「働くことの意味」
オーストリアの精神科医・心理学者であるアルフレッド・アドラーの名を、2013年のベストセラー『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健 著、ダイヤモンド社)によって知ったという方は少なくないかもしれません。事実、それ以前の日本においてアドラーは、フロイトやユングにくらべ知名度も低い存在でした。 とはいえ彼は「アドラー心理学」の創始者であると同時に、フロイト、ユングと並ぶ「心理学三大巨頭」のひとりなのです。だからこそ私たちはそのことを踏まえたうえで、残されたことばのなかからなにかを学ぶべきかもしれません。 そこでご紹介したいのが、『超訳 アドラーの言葉』(岩井俊憲 編訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)。アドラーが残した多くのことばをテーマ分けし、「超訳」として読みやすくまとめたものです。 アドラーのよく知られた功績の一つに、「劣等感」があります。「劣等感のアドラー」という言われ方をすることもあります。 この劣等感とは、「私は兄より背が低くて嫌だ」とか「体が弱いのがつらい」などのように、誰かと比べて、主観的に「自分は劣っている」と感じることです。 一方で「劣等性」は、客観的な属性で、「背が低い」「喘息を患っている」という欠点や欠損があるだけです。その「劣等性」を人と比べて、主観的に「自分は劣っている」と感じると「劣等感」になります。(「編訳者はじめに」より) 見逃すべきでないポイントは、そんな劣等感をアドラーが「悪くない」と断言していること。なぜなら重要なのは、「劣等感をどう生かすか」であるからです。 「劣等感があるからこそ、成長できる。糧にして努力できる」と考えたのです。まさにアドラー自身が、自分の体の弱さからくる劣等感がありながらも、それを糧にして医師になっています。(「編訳者はじめに」より) そんなアドラーのことばが、日々さまざまなストレスを感じながら生きているビジネスパーソンを勇気づけてくれるのは、むしろ当然の話。そこできょうはI「『働く』ことの意味」のなかから、いくつかをピックアップしてみたいと思います。