伊藤健太郎(27)「俺は一体何をしているのだ?と迷子になる事も多かった」多忙すぎた20代前半…好青年キャラから脱却した現在地
俳優復帰以降、骨太な役どころが似合うようになってきた伊藤健太郎(27)。マッチョ化も話題の伊藤が、違和感の蓄積を経て“好青年キャラ”脱却に至った心境を語る。 【画像】現在の伊藤健太郎(4枚)
「普段の僕はそこまでキラキラ好青年じゃないのに」パブリックイメージへの抵抗
──伊藤さんは俳優復帰作『冬薔薇』(2022年)以降、重厚な役を好んで選んでいるように感じます。それまでは好青年系キャラが多かったわけですが、どのような心境の変化があるのですか? 今までは王子様系や好青年系イメージの役柄が非常に多くて、もちろん俳優としてやりがいもあったし、役を演じるという意味では楽しかったです。しかし年齢的な問題もあったのか、いただく役が同じものばかりに集中してくるようになると自分の中で違和感が生まれる様になりました。 ──固定されたイメージから脱却する難しさは想像がつきます。 演じた役のイメージを持たれることはありがたい一方で、自分もそのように見られてしまいがちというか…。普段の僕はそこまでキラキラ好青年じゃないのに、そう思われてしまう事への窮屈さ。それが違和感として蓄積していきました。作品の評価としても演技面ではなく「あの役カッコ良かった」「キュンキュンした」という言葉が多くて、それはそれで嬉しいことではあるけれど、役者として認められていないような気がして。その葛藤と常に戦っていました。 ──その好青年時代に出演した異色作『惡の華』(2019)ではブルマーを履いて悶絶するシーンがありました。挑戦的役を引き受けた背景には、パブリックイメージへの抵抗があったわけですか? まさにそうです。あの作品への出演は当時の自分としての精一杯の抵抗でした。でも、あれでは足りない。もっともっと裏切るぞ!と(笑)。もっと最低に、超凶悪な殺人鬼とかを演じたいという渇望があります。もちろん求められてナンボの世界であることは理解していますが、せっかく役者をやっているわけですから、色々な挑戦をして自分を試してみたいという気持ちが一番にあります。『透明なわたしたち』の喜多野雄太のような謎めいた男や『静かなるドン』だったり、お話を頂ける限りはこれまでの自分のイメージに囚われないチャレンジをしていきたいです。 ──そのチャレンジの成果が表れ始めていますね。 徐々にではありますが、アウトロー系キャラも増えてきたりして、同時に『あの花が咲く丘で君とまた会えたら』(2023)のような好青年もやらせていただけたりして、ふり幅を大きくフットワークも軽く動けるようになったという点では今は心が楽です。ヴィジュアルではなく、お芝居の部分で評価していただける声が増えてきているのも嬉しいです。もちろん「まだ駄目だよ、お前は」と言われることもありますが、「あの時のあのシーンの目つき、表情、振る舞いが良かった」という声をもらえたりすると、演じることへの遣り甲斐に繋がる喜びが生まれます。 ──多忙だった20代前半に比べると、今の方が楽しく演じているように見えます。 これは誤解なく受け取ってもらいたいのですが、正直な話をすると20代前半は仕事に対してあまり楽しいという感情は持っていませんでした。毎日凄い量のお仕事があって、自分が今何をやっているのか、どこにいるのかわからなくなる瞬間があって…。お芝居は好きです。でも俺は一体今何をしているのだ?と迷子になる事も多かったです。とても贅沢な悩みかもしれませんが、お芝居に対する好きだという気持ちがどんどん離れていくような気がして。そんな感情を抱く自分に怒りが湧いたし、悔しかったし、悲しかったし、そんな感情を認めたくなかった。だから今振り返ると「楽しい!」という気持ちだけではやっていなかったと思います。