2017年春に10%へ 消費税と政治の歴史 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
消費税アップと政治の歴史
消費税に限らず増税は国民に不人気なので、決めた内閣が後に臨む参議院、衆議院の国政選挙はおおむね厳しい結果に終わっています。特に消費税は政治家にとって「鬼門」とすら呼ばれているのです。 1979年、大平正芳内閣は「一般消費税」導入を閣議決定しました。大平氏は戦後初の赤字国債(収入の不足を補う国の借金)を出した75年の大蔵大臣(現在の財務大臣)でした。赤字国債発行は財政法が禁じています。この時「1年限りの特例法の制定」で決着しました。してはいけない借金だから、する場合は時の国会にはかって1年だけ許してもらおうという意味です。 大平首相はかねがねこうした事態を重くとらえていて、間接税の導入で健全化をはかろうとしたものの、最後は自民党内からも反対が続出、10月の総選挙のさなかに撤回するも選挙は自民過半数割れと敗北を喫しました。その後党内は内紛状態に陥り、最後は内閣不信任決議案可決にまで至ります。解散を選んだ首相は選挙期間中に急死してしまいました。
1982年から首相を務めた中曽根康弘氏は当初から「大型間接税」導入を目しているとみなされ、微妙な言い回しでやる気があるようなないような発言を繰り返してきました。86年の衆参ダブル選挙では導入しないと断定し、「この顔が嘘をつく顔に見えますか」とまで言い放ち圧勝しました。 ところが、選挙後に間接税の一種である「売上税」を導入すると豹変して、87年の通常国会に法案を提出しました。「嘘つき」の大合唱が起き4月の統一地方選挙で敗北。撤回を余儀なくされました。
初めて消費税を導入したのが竹下登内閣で、89年から3%でスタートします。前年の臨時国会の会期は史上1位の163日(延長93日)で「消費税国会」と呼ばれています。税制改革関連6法を可決・成立させて翌年4月から始まりました。国民感情は反対の声が根強く与野党激突の結果です。ちなみに延長幅も最長を記録しています。 「直間比率の見直し」の名目で所得税の減税も同時に行いましたが、国民の受けは甚だ悪く、同時に起きた戦後最大級の贈収賄事件「リクルート事件」が発覚し、国会も大もめ。内閣支持率は急低下して3%台をつけるや「消費税並み」とやゆされもしました。政権の求心力は急速に失われ総辞職に至りました。 1994年、村山富市内閣は97年4月から消費税率を5%とする税制関連法を成立させました。法には税率の見直し規定も盛り込まれ、96年9月末までに諸状況を検討し、税率も再確認するとありました。期限の9月末に向けて「3%で凍結」という声が強まるなか、与党は「凍結せず」でまとまり、衆議院を解散しました。