ノーベル平和賞 被団協の長年の努力 静岡県内からも労いの声 「ここからスタート」
ノーベル平和賞の授賞式がノルウェーで行われ、核兵器廃絶を訴えてきた日本被団協にメダルと賞状が授与されました。 静岡県内からも「本当に良かった」と長年の努力をねぎらう声が聞かれます。
ノルウェーの首都・オスロで行われた授賞式では、日本被団協の代表委員3人が登壇してメダルや賞状を受け取りました。 そして世界に向けて訴えます。 日本被団協・田中熙巳 代表委員: 1発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え、一挙に命を奪いました。 「核兵器は1発たりとも持ってはいけない」原爆被害者の心からの願いです 1945年、広島と長崎に投下された原子爆弾は約21万人の命を奪いました。 長い間 後遺症に苦しむ人も多く出ました。 授賞式のあとオスロでは平和を願う市民がパレードを行い、3人の代表委員は手を振って応えていました。
初めて原子爆弾が戦争で投下された広島。 6歳の時、その広島で被爆したのが伊東市に住む樺山公一さん (85)です。 被団協の努力を称えるとともに「世界中の人に自分のこととして考えてもらいたい」と話します。 6歳の時広島で被爆・樺山公一さん: 本当に良かった。被団協のみなさん手弁当、大変な中でやっているのを 私も知っている。 (世界中の人の)心にどう訴えられるかが問題。 誰かが言っていたがスタート、まさにスタートです。 今まで運動を長くやってきたことの結実じゃなくて、これからがスタート
そして1954年南太平洋・ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験。 焼津港のマグロ漁船・第五福竜丸が被ばくしました。 その研究・資料保護などに携わってきたのが静岡大学・名誉教授の山本義彦さんです。 授賞式で演説した田中熙巳さんとも交流があって「芯のある人」と話し、憤りや悔しさを全世界に伝えたと労をねぎらいます。 第五福竜丸 平和協会顧問 静岡大学・山本義彦 名誉教授: 多くの人々にあまり関心を寄せられない時代は結構続くはず。世界中の多くの人々が世代を超えて知ることの意味というのはそれを被害者自身が語るということ。 ものすごく大きな衝撃力になっているのではないか 唯一の被爆国・日本。 どれほど悲惨な状況だったのか、直接知る人の平均年齢は85歳を超えています。 日本被団協・田中熙巳 代表委員: これからは私たちがやってきた運動を次の世代のみなさんが工夫して築いていくことを期待しています。 核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めてともにがんばりましょう
テレビ静岡