「ローカルアイドル」生き残りをかけた過酷な実態…芸能界を引退!アンジュルム・川村文乃「はちきんガールズ」時代の「知られざる過去」
ローカルアイドル、実は3000組以上!
数多くのアイドルが活動する「アイドル大国・日本」のなかで、地方で活動を行う「ローカルアイドル」(ご当地アイドル・ロコドルとも)は、2024年時点で「約3100組」 にものぼる(日本ご当地アイドル活性協会調べ)。 【写真】まじか!アイドルとは思えない…川村さんの見事な「包丁さばき」! いまやアイドル業界の一大勢力であり、中には地方から全国に活躍の場を広げる、王林さん(青森県「りんご娘」出身)、橋本環奈さん(福岡県「Rev. from DVL」出身)のような人材も出てきた。 かつては高知県発のローカルアイドル「はちきんガールズ」のメンバー、現在はハロー!プロジェクト(以下:ハロプロ)所属のアイドルグループ「アンジュルム」メンバーとして知られる川村文乃さんも、その一人だ。 「はちきんガールズ」はシングル8枚・アルバム1枚を世に出しており、アイドルにとっては憧れのステージである「TOKYO IDOL FESTIVAL」や、全国ネットのテレビ番組にもたびたび出演。ローカルアイドル界隈のなかでは、知名度・人気はトップクラスであった。 川村さんは「はちきんガールズ」卒業後にハロプロ入り。「ハロプロ研修生」「アンジュルム」で延べ9年間のアイドル活動を行い、2024年11月28日のツアー最終日(日本武道館公演)をもって卒業、芸能界からも引退するという。 「はちきんガールズ」は高知県を中心に熱烈な支持を受けていたものの、ローカルアイドルであるが故に、その活動には苦労もつきまとったようだ。 川村さんが芸能活動を終えようとしている今、ファンの方の記憶や、過去のブログ・配信・新聞記事などから、「はちきんガールズ」ならびに、「川村あやの」(当時の名義)さんの活動をたどってみよう。
実力派集団の正体と知られざる過去
川村さんはもともとアイドルへの憧れを強く持っていたようで、2007年ごろ(小学2年のころ)から地元・高知の音楽スクール「シエロクラブ」に通い(2009年12月10日付読売新聞)、2009年には個人として、尾崎正直・高知県知事(当時)から直々に「高知県おさかなPR大使」に任命される。さらに2010年には、大ヒットを記録した楽曲「おさかな天国」のカバーでメジャーデビューまで果たしている。 川村さんは当時から、平日は学校、放課後はレッスン、週末は高知県内の各地でステージ(県土が横に長く、移動時間がかかる!!!)」という生活を送っていたようで、時には「鮮魚コーナーのショーケースに挟まれ、社員や来店客の方に気を遣いながら歌う」など、大人でもプレッシャーがかかるような場所で、ステージ経験を積んできたという。 そして2011年に、同じスクールで共に活動していたローカルアイドル「はちきんガールズ」に正式に合流。このグループは、「劇団四季」などで活動していた講師が相当に厳しい指導を行っていたこともあり、グループとして歌・ダンスともにローカルアイドルの域を越えたパフォーマンスを見せるようになる。 ただ高知県は人口70万人弱しかなく、「高知観光特使」や地域の仕事、さらに実力があっても、アイドルとして安定して活動するのは難しい。「はちきんガールズ」は「ユニット解散を賭けて四国88か所霊場巡り 」(徒歩でほぼ四国一周。みんな小中学生なのに!)などの企画で知名度向上を図っているうちに、ローカルアイドルの代表格として、認知度が高まっていく。 2014年には「地元の魅力を東京から全国に伝える」というスタンスで、高知県からの“脱藩”(東京進出。坂本龍馬の脱藩になぞらえて表現)を果たした。当時の様子は「FNSドキュメンタリー大賞『脱藩、巡礼、負けないチカラ』」(フジ系列)で全国放送され、川村さんが東京行きのバスを待ちながら、パートを掛け持ちして活動を支えてくれた母親への想いを吐露。「お金持ちになりたい。みんなに楽をさせてあげたい」と呟く姿は、視聴者に絶大なインパクトを残している。 この時点で川村さんの経験は、「ソロアイドルとしてメジャーデビュー」「観光特使」「体を張った規格に挑戦」「グループアイドルとして東京進出、転居」など。加入前に芸能活動歴があるハロプロメンバーの中でも、川村さんのアイドル歴は異色で、かつ過酷なものだ。