「昭和歌謡」が発展したのは「進駐軍」がいたから…「月はどっちに出ている」の劇作家・鄭義信が描く戦時下の“家族の物語”
9月5日から公演「旅芸人の記録」
昨年、映画「パラサイト 半地下の家族」が日本で舞台化され、大きな話題になったが、その台本・演出を担当したのが劇作家で演出家の鄭義信(67)だ。代表作の舞台「焼肉ドラゴン」(2008年)では数々の賞を受賞し、その後も意欲作を世に送り続けている。9月5日からは東京・下北沢のザ・スズナリで、劇団「ヒトハダ」の第2回公演「旅芸人の記録」が行われる。作・演出を務める鄭に話を聞いた。(全2回の第1回) 【写真】「美脚」「おしゃれ」…舞台「パラサイト」の現場が騒然となった古田新太の靴下。鄭義信の貴重なプライベートショットも ***
――どのような公演になるのか、教えてください。 戦時下、大衆演劇一座の“家族の物語”です。座員を徴兵に取られたり、息子が戦闘機を作る飛行機工場に働きに行ったり、戦争に巻き込まれていく家族の姿を描いています。 ――今回の公演をやるきっかけとなったのは何でしょうか。 太平洋戦争中に大衆演劇や映画は、実はものすごく観客を動員していたという事実を知って驚いたんです。当時は、暗い時代だからこそ、人々は笑いたいという欲望が強かったのだと思います。あまり知られていない歴史を、伝えたいと思い(脚本を)書きました。 ――舞台では、戦争の生々しい表現も出てきます。 世界で戦争が終わらないという現実の中で、日本は過去に戦争を経験しましたが、その証言者がどんどん少なくなってきています。終わらない戦争の中で、必死に生き抜いた家族の物語が、今でも通じる話であることを感じてもらえればと思います。 ――世界の情勢は今も緊迫しています。 いつになったら、戦争が世界からなくなる日 が来るのでしょうか。戦争を経験した世代が少なくなる中、私たちは戦争にどう向き合えばよいのか。もし日本が深刻な状況に追い込まれた時、何を選択するのか、徴兵制などになったらどうなるのか、考えさせられます。
22年に劇団「ヒトハダ」
――物語の中では、戦時中でも明るさを失わずに前を向いている家族が印象的です。 終わることのない戦争の中で、家族たちは次の土地を求めて移っていきます。そこでも、「人生はまだまだ続くぞ」と。世界の状況がどうであれ、生きていかなければならないという思いが伝わればいいかなと思っています。 ――今回の公演を行う劇団「ヒトハダ」は、鄭さんらが22年に立ち上げた劇団です。今回が2回目の公演となりますが、劇団を立ち上げたきっかけを教えてください。 なんとなく始めた感じです(笑)。最初から劇団を作ろうという気持ちは全然なくて……。僕自身も以前は劇団に所属していましたが、辞めました。でも、ヒロ(尾上寛之)や浅野(雅博)君が中心になって、いつの間にか劇団を作ろうという話になり、いつの間にか巻き込まれ、いつの間にか参加することになりました(笑)。 ――劇団としてのテーマや方向性はありますか。 劇団のテーマというのは、今現在は全然ありません。自分たちの好きな人と好きなことを一緒にやろう、という感じの劇団です。 ――今回の公演も好きなことをやっている感じですか。 僕自身が、日本の芸能史が面白いなと思っていて、それを書きました。 ――なぜ、日本の芸能史を取り上げるのでしょうか。 日本の昭和歌謡が大きく発展したのは、進駐軍がいたからなんです。それは韓国も同様で、そこでポップスに触れて発展してきた歴史がある。そのルーツや、なぜ人々がそれを求め、そこに熱狂していったのかという、“情熱の方向”に非常に興味があります。そこに日本人の日本人的な精神のありようがある気がして、追究していきたいと思っています。 ――改めて、今回の公演はどのような人に観てもらいたいですか。 戦争を知らない若い世代の人たちに観てもらいたいですね。僕ら世代でも、戦争を直接体験しているわけでもないので、観に来てもらってもう一度、戦争というものを考えてもらえればいいなと思っています。 インタビュー後編では、劇団「ヒトハダ」を立ち上げた経緯などを語る。