アメリカは46年間、こうやって「尖閣問題に弱腰」を続けてきた!いまこそ射爆演習場「使用再開」で明確なメッセージを出せ!
なぜ尖閣の射爆場使用をやめたのか
数年前、共同通信社は、1978年6月にアメリカ政府が尖閣諸島をめぐる日中間の紛争に巻き込まれることを恐れ、アメリカ海軍に射爆演習場と指定されている大正島の使用を停止するよう指示したことに関する「爆弾的な」記事を掲載した。 【写真】アメリカの尖閣諸島政策、機密解除文書で浮き彫りになった危険な欠陥 翌1979年、アメリカ政府は再びその射爆演習場の使用再開を求めるアメリカ軍の要請を拒否した。 大正島(赤尾嶼とも呼ばれている)は、近接する久場島(別名、黄尾礁)とともに、日米地位協定に基づき米政府に射爆演習場として提供されている。しかし、70年代暮以来、どちらの島も使用されていない(実際に最後に使用されたのは1977年12月)。このことは、使用停止が大正島に対してまだ有効であるだけでなく、公式または非公式に、久場島にも適用されたことを示唆している。 2島の不使用は以前から知られていたが、アメリカ国務省の機密解除文書を活用した先述の記事が発表されるまで、その理由は不明だった。 2014年に英語で刊行し、2015年に日本語版を出版した拙著『尖閣問題の起源』(名古屋大学出版会)の中で、著者は射爆演習場の使用停止をしたのが、普段は臆病なアメリカの国務省か、同じく中華人民共和国に遠慮がちの日本外務省のどちらかだと推測していた。この2つのうち、筆者は国務省の責任だと考えた。 それから7年後、共同通信の記事で使われた文書を見ると、私が正しかったことがわかる。
日中平和条約締結時に
1978年6月といえば、同年4月中旬に中国の漁船200隻近くが尖閣諸島付近に集結し、日中両国が平和条約締結に向けて協議していた矢先に日中関係が緊張状態に陥った事件の直後である。 中国がなぜ数多くの船をその時期に派遣したのかについては、同国内の政治闘争、同政府内の関係機関の連絡ミス、平和条約交渉を進めるよう日本政府に圧力をかけるため、あるいは尖閣諸島の領有権を主張するためなど、いくつかの説がある。 その後、中国の高官は日本政府関係者に「過ちであった」と謝罪し、「二度とこのようなことは起こさない」と述べ、中国が日本の領有権を認めたことを示唆した。結局、この事件は皮肉にも、両国が日中平和条約の交渉を加速させるきっかけとなり、同年末に締結・批准された。 この中国による日本の主権・施政権についての暗黙の承認は、筆者が入手した他の機密解除文書によれば、アメリカ政府も把握していたにもかかわらず、国務省は、尖閣問題に巻き込まれたくないと問題視し、それまで何十年にもわたって尖閣諸島の演習場を管理してきたアメリカ海軍に、その使用を停止するよう指示した。 詳細は、前述の拙著で紹介しているが、そもそも、久場島は 1948年以来、アメリカ空軍が使用していた。1955年にアメリカ海軍が運用を担当するようになり、1956年には大正島も追加された。アメリカによる南西諸島の統治の大半の間、アメリカは久場島の所有者に賃料を支払っていた。(大正島 は常に日本政府が別に所有していたため、アメリカ政府は賃料を支払っていなかった。)