「生まれた娘の顔が紫色をしていて…」アルペンスキー選手・森幸 緊迫した出産現場と娘が抱えた指定難病
その後、娘はすぐに別の部屋に移されて心臓マッサージをされました。まったく状況が理解できなかったので、夫に説明をお願いしたのですが、答えてはくれないまま、私は病室に戻されて、一方の娘は大学病院に搬送されることになりました。もうワケがわからなくてパニックになり、娘を搬送してくれた救急隊員の方を叩きながら「絶対に娘を助けてくださいね!」と叫んでいました。 ── 出産後すぐにお子さんと離されるのはつらいですね。未瑠加さんとちゃんと会えたのはいつですか?
森さん:翌日です。帝王切開だったので、動いてはいけなかったのですが主治医に頼み込んで娘の搬送先の大学病院に会いに行きました。前夜に夫から「心臓病の疑いがある」と聞いていたので、「とにかくいま会いに行かなくちゃ」という気持ちでいっぱいでした。娘は、自分で呼吸することが難しく人工呼吸器をつけていました。また、手足を動かすことも負担になるそうで筋弛緩剤であえて動かないようにしていました。ほかにも全身にいろいろな点滴を打っていました。
ずーっと寝ているような状態で目を開けないので、「この子は生きているのだろうか?目を覚ますのだろうか?」と思いながら、毎日、娘に会いに行っていました。入院から1週間後に、「おそらく肺高血圧症だろう」といわれました。このころ、肺高血圧症は珍しい病気で、さらに生まれながらにしてこの病気にかかることはもっと珍しくて、医師もそうとう頭をひねったようでした。あまり前例がない病気のためにわからないことも多くて、「余命5年」ともいわれました。
見守ることしかできないなかで、はじめて目を開けてくれたのは生後1か月が経ったときです。このころになると、筋弛緩剤の投与が必要なくなっていました。はじめて目を開けた顔を見て、「この子は生きてるんだ」と実感できました。 PROFILE 森 幸さん もり・ゆき。東京都出身。アルペンスキー元日本代表。元全日本スキーデモンストレーター。 東京都スキー連盟副会長、日本障害者全日本スキー連盟理事を経て、現在は全日本スキー連盟理事・日本トライアスロン連合理事などを務めるかたわら、青山学院大学の体育会スキー部のコーチにも注力している。国の指定難病である肺高血圧症を抱える、娘の未瑠加(みるか)さんとの日常の一コマをインスタグラムに投稿している。
取材・文/安倍川モチ子 画像提供/森幸
ちゃんと 編集部