「東大生なのに、このご時世にそんな投稿しちゃう?」Xで炎上する東大生。足りなかったのは共感力か? それとも?
元国税局職員さんきゅう倉田です。ちょうど3年間勉強して、38歳で東京大学に入学しました。現在2年生です。 【表】東京大学の合格者のうち、上位の出身校〈中高一貫校〉は? この連載では、主に東大の良いところや東大生の素晴らしさを綴っています。東大の同級生のお母さんや講義中にグループワークをした先輩などから、「記事見たよ」と言われるくらい、東大関係者に読まれています。 4月になって今年も1年生が入ってきました。受験終了と同時にXやInstagramを始める人もいれば、受験勉強中にもかかわらずXを続け、浪人生同士で仲良くなることもあります。合格してから、講義で出会った人に「もしかして、Xの名前◯◯?」とエンカウントすることもあるようです。 さて、先日、新一年生のXでの投稿が話題となっていました。 「東京に住んでて物価や家賃が高くて生活できないって言ってる人は、身の丈に合ってないから田舎に引っ越しなよ。自分の努力不足を国のせいにしないでさ。夢を叶えたり、将来の自分の可能性を広げるために上京してきた人は一緒にがんばろ!」 この投稿がどこかの誰かによって見出され、リポストや引用がしこたまなされました。ぼくの友人も引用してコメントしていました。そのコメントの中で、「(この人は)共感力がない」と指摘していて、今回はこれについて考えることにします。
共感力と東大生
元々の投稿が、特定の属性を持つ誰かを著しく不快にする内容であり、その人たちの気持ちを慮れなかった点を「共感力がない」と指摘したのだと思います。 ぼくは、「共感力がない」に共感すると共に、より適切な表現があるように感じました。このようなとき、自分で考えるだけでなく東大の友人たちとお酒を飲みながら議論することにしています。 ぼくとは20程度年齢が離れていますが、彼らの組み立てた論理、豊富な語彙、それらを裏打ちする知識には、常に心を揺さぶられます。 「共感力がないんじゃなくて、想像力がないんじゃない?」 投稿主は東大生であり、フォロワーの中には学生が多数いると考えられます。田舎から東京に出てきた学生も大勢いるでしょう。 投稿の内容によって、傷つけられた彼らがどのような反応をするのか、そしてそれが炎上につながるか否かは、容易に想像できます。そのため、「想像力がない」と言う指摘は的を射ています。 このとき、内容に正当性や合理性が微塵もないことも議論の対象となりました。投稿の内容を支持できる要素が全くなかったことが、炎上を加速させたのかもしれません。 さらに、こんな指摘もありました。 「共感力がないんじゃなくて、教養がないんじゃない?」 投稿の内容は「属性主義」に基づいています。このような家柄、身分、性別といった本人の能力や努力では得られない生得的な基準で個人を評価する考え方は、近代社会以前で支持されており、現在は公正とされていません。 そのことを知らないのであれば、「教養がない」とみなされても仕方がありません。 加えて、「自分の努力不足を国のせいにしないでさ」という発言に対しては、「大学生になったばかりのお前も自分で努力して家賃や生活費を払っているわけではないだろ」という意見もみられました。 投稿主も自身の少ないフォロワー数を考慮して、自分の発言が大きく広がるとは思っていなかったのでしょう。「誰もみてないから」と考えて、安易に稚拙な投稿をすることは、珍しくありません。 ぼくだって、Instagramのストーリーに読んだ本とか眺めた星空とか会ったフランス人を載せています。そこには、「どうせ数千人しか見ていない」というある種の諦念があります。 だからといって、特定の属性の人を悪く言ったりしません。今回の投稿は東大生のSNS利用の方法を改めて考えさせるものでした。 ▶つづきの【後編】を読む▶ さんきゅう倉田さんがクラスメイトと話をしていた際に「議論において、必要な能力は何か」というテーマ。東大に入る前と後では、考えが変わったそうです。その変化とは?
元国税芸人 さんきゅう倉田