岡本姫奈・五百城茉央・奥田いろはの世界を変えた"決心"『乃木坂46物語~ほんの一歩で変わる世界~』
まさに心にぽっかり穴があいてしまったかのように、何もする気が起きなかった。そんなとき、兄が「受けてみたら?」と、オーディションの存在を教えてくれた。 「正直、そういうことをやれる人間じゃないんです。なんでも恥ずかしいって思っちゃうから。『えー、やらんわぁ』って言ってました。でも『絶対に受からない』って思いすぎて、サッと送ってみたら......次々と進んでいってびっくりしました」 こうして、五百城茉央はオーディションに合格した。 「乃木坂46に入って、毎日とても充実しています! 高1の灰色って感じの夏休みを思えば、今の忙しさもうれしくて。お仕事はなんでもやってみたいから、お休みは、ちょっとで大丈夫です」 逃げ出したかったときに踏みとどまった少女は、誰よりも強靱で前向きな心を手に入れていた。 ■乃木坂46の曲に導かれて~奥田いろはの場合~ 奥田いろは。彼女は物心つく頃には子役として活動していた。始めたのは3歳。 「それくらいのときに、自分でやりたい、って言い出したらしいんです。当時の私って、すごく人見知りで。幼稚園に行っても母親から離れない、みたいな子だったらしくて。『でも、お仕事に行くとすごくハキハキして。まったく人見知りせずに仕事をしてたのよ』って母が言ってました」 彼女が乃木坂46を認識したのは、小学校中学年の頃。ひとりで乗っていた電車の中で、イヤホンから『今、話したい誰かがいる』(作詞/秋元康 作曲/Akira Sunset、APAZZI)が聞こえてきた。 「それが最初の出会いでした。『ブランコ』とか『シーソー』っていう歌詞が出てくるんですけど、子供だったから、そういうところに惹かれたのを覚えてます(笑)。 あと、『林檎を剥く時 母親の指先が 滑って切ってしまいそうで 嫌いと嘘ついた』って歌詞が心に残ってて。すごく好きになって、ずっと聴いてました」 今となってはライブでギターの弾き語りを披露することもある奥田。ギターに興味を持ったのは、中学に上がった頃だった。 「うちの親は、私が決めたことをなんでも許してくれて。子役を始めるときもやめるときも、ギターを始めたいと言い出したときも自由にさせてくれました。常に私の意思を一番に考えてくれた家族にはすごく感謝してます」 そう語る彼女が次に気になったのは、北野日奈子(卒業生)。 「高校1年のある日。テレビで見た北野さんを、『すごくかわいい!』って好きになっちゃったんです。その日はひと晩中ネットで乃木坂46について調べていました。