丹下健三の都市設計から未来を考える 愛媛・今治でシンポジウム
愛媛県今治市で少年期を過ごした世界的建築家、丹下健三(1913~2005年)を顕彰し、丹下の都市設計から今治の未来を考えるシンポジウム(市主催)が21日、同市であった。丹下が戦後に設計した同市庁舎など三つの建物に囲まれ、「市民広場」と位置づけられた空間を次世代にどう引き継ぐかについて提言が相次いだ。 1987年に「建築界のノーベル賞」といわれる米プリツカー賞を日本人で初めて受賞した丹下。いずれも国重要文化財の広島平和記念資料館▽香川県庁旧本館・東館▽国立代々木競技場(東京)――などを手がけ、戦後モダニズム建築の旗手として活躍した。 今治市内には50年代から80年代までの七つの丹下建築群が残る。このうち58年完成の市庁舎と公会堂、65年に完成した市民会館の3施設に囲まれた広場は、戦後復興を象徴する空間を目指したものだ。現在は庁舎利用者の駐車場になっている。 シンポジウムは市内の丹下建築の一つ、今治地域地場産業振興センターで開かれ、4人の建築家が登壇。県内外の約330人が聴き入った。 プリツカー賞受賞者の伊東豊雄さんは「(新たな都市設計で)駐車場を移転できれば、子どもたちが遊べる芝生広場になって良い。公共施設を集約し、人が集まる場にしてほしい」と提言した。 広場を囲む3施設は、今治港から真っすぐに600メートルほど伸びる「広小路」(県道14号)を受け止めるように配置されている。藤森照信・東京大名誉教授は「港から自然に市役所まで歩いていけるよう、道をどう使うかだ」と指摘。大西麻貴・横浜国立大大学院教授も「広場の先にある海に向かって、道を通していく人間の意志を都市から感じることができる。広場の延長にある広小路は街の中心的存在になる」と述べた。 今治市の会社員、新藤貴志さん(53)は、シンポジウム終了後に「しまなみ海道開通前は、今治港から市役所へ向けて人、もの、金の大きな流れがあったが、今は活気がなくなっている。丹下建築をしっかりとアピールし、人が流れる街をつくってほしい」と語った。【松倉展人】