PTAは必要か? 義務だった”ブラック労働”をボランティア中心の「PTO」にした都内小学校の改革プラン
多摩川の河川敷沿いにある大田区立嶺町小学校。自然豊かな環境に囲まれる同校は、児童数が828名、家庭数は約700。1990年代から2000年代にかけて河川敷沿いにマンションが建ったことに伴い、子どもが急激に増え、大田区中で2番目に児童の数が多い。 〈画像〉ひと目でわかる「PTO」(大田区嶺町小学校の例) そんな嶺町小学校では、2015年にPTAを解体し「PTO」を作ったという。現PTO団長の久米雅人さんに話を聞いた。
お試し期間を経てPTA改革
2012年までは、どこにでもある普通のPTAだった。当時、PTA会長になった父親が、さまざまな慣習に疑問を持ち、PTAの改革に向けた取り組みを始めた。14年にまずは保護者から意見を募った。 「お試し期間を1年間設けてボランティア制で運営してみたら、結構うまくいったんです。次の年から正式にボランティア制でやっていこうと。私が6代目の団長になって、団長は基本的に2年任期です」(久米さん) 改革前のPTAには多くのブラックなエピソードがあったという。 「年度初めの保護者会で、委員への立候補を募ると場がシーンとなり、決まるまで帰れない。また、会社の有給休暇を取ってベルマーク係をしていたお母さんから『時給換算したら、約200円ですよね。お金を払うから、やめさせてほしい』と言われた。 ほかにも雪の中、赤ちゃんを背負って古紙回収をするとか、会議に連れてきた子どもが泣くと白い目で見られるとか、役員のなり手がいなくて、お願いの電話をかけると罵声が返ってくるとか…」 当時のPTAの規約に書かれていた『会議員は全て平等の権利と義務を有する』という言葉を目にし、平等の権利はあるけど平等の義務とは? もっとPTAってハッピーなものなのでは? 改革すれば、入会拒否する人もゼロになるのではないかーーそう思い至ったのが、もともとの改革プランだった。
義務でなく「志願制」に
ボランティア制で、やりたいときにできる人が集まってやろうと考えた。一方、日本でボランティアというと、奉仕活動とか頑張ってやるもの、というイメージがある。 「ボランティアはもともと、ラテン語で市民がその国を守るために志願する志願兵を意味する言葉でした。やりたいからやる。そのあたりを理念としてPTOを始めました」 大きく変わったのは、委員の義務当番制。いわゆるポイント制だ。6年いたら1回は必ず委員にならないといけないという決まりを、ボランティア制に。 保護者会でじゃんけんやくじ引きで行っていた委員決めをサポーター登録制にして、イベントごとに手伝える人を募る体制に変えた。委員会は六つから三つに減らした。 お試しでうまくいったので、2015年から完全にこのPTOになった。ネーミングも重視した。PTOの“O”は“Organization”だ。 アメリカだと、いわゆるPTAの連盟に所属している組織をPTA、各校で独立採算で運営する組織をPTOとするすみ分けもあるという。「会長」「副会長」という呼び方も、応援団の「団長」「副団長」に変えた。 「役員会は『ボランティアセンター』に、イベントごとの係の名前も『サポーター』に変えました。われわれは大田区のPTA連合に入っていて、地区の会長もやっています。『PTOの団長さん』という感じで、周りも認知してくれています」 年間の活動内容は、PTAの頃とそれほど変わっていない。一番大事なのは学校支援だ。例えば入学式や卒業式のサポート、長期休みに学校で飼っている生き物を持ち帰ってのお世話。ほかには登校時の安全の見守りや、町内会と地域のお祭りを一緒にする活動などだ。 「保護者が子どもたちのためにやりたいことを企画して、実現する『夢プロジェクト』も始めました。河川敷で鬼ごっこをやったり、町内会と連携してクイズラリーをやったり。 コロナ禍は集まってイベントができなかったので、『仮装して河川敷を歩くぐらいならいいんじゃないか』と始めたハロウィンイベントは、今では毎年恒例のイベントになっています」