命を突然絶たれた兄は、患者たちの「恩人」だった 大阪・北新地ビル放火殺人 遺志を継いだ妹が、2年たってやっと口に出せた「生きていてほしかった」
「悩みはなくてもいい。気軽に立ち寄ってもらえる場にしたい」 離れている人にも思いが届くようにと、スマホアプリ「stand.fm」で音声配信も始めた。チャンネル名は〝軽やかなる日々を〟と名付けた。毎週月、水、金曜日の3回、午前7時半に更新する。5~6分間の音声なら、家事をしたり、何か作業したりしながら聞ける。 自宅の一室で一人、スマートフォンに向かい、一つ一つ言葉を紡ぐ。日々の出来事や、事件だけでなく日常の経験の中で得た気づきを話す。聞いてくれている人が生きていく上で、何かヒントになることを伝えたい。 「できないことを考え続けるのではなく、何ができるかを考えてみることで心にゆとりが出てきます」 「『大丈夫、きっとうまくいくよ』とか、言葉の持つ力をみなさんも周りに伝えていってほしい」 今年10月中旬、友人の一人が、芦屋で開催した伸子さんのカフェを訪れた。長い主婦生活の間、自分だけに優しく語りかけてくれる存在はいなかったという。
この友人は伸子さんに感謝の言葉を伝えた。「お弁当を作って、洗濯をして…淡々と過ぎていく生活の中で、伸子さんの配信は真摯に寄り添ってくれている気がしてすごく楽しみで、励みになっている。勇気づけてくれる存在です」 伸子さんの目に涙が浮かんだ。自分は何かを成し遂げたいわけでも、立派なことを言いたいわけでもない。ただ、誰かのためになりたくて活動を続けてきた。「心の支えになれていたんだ」。友人の言葉を聞き、報われた気がした。 ▽記者との対話、心の整理に ただ、弘太郎さんが亡くなったことが信じられない期間は長く続いた。そんな中でも多くの取材を受け、記者らとたくさん話をした。取材に対してこう答えることもあった。「自分の中では悲しいという感情を抱かずにきました。私はみなさんが思っているような遺族ではないですよ」。 それでも話すことで少しずつ心の中の整理ができたという。「兄を思い出して泣くこともあります。泣きたいときは気が済むまで泣いて、次に進みます」。複雑に変化する感情を素直に受け入れられるようにもなってきた。事件が現実に起こったことなのだと実感するようにもなった。