ブランクーシの彫刻とアトリエに隠された秘密|青野尚子の今週末見るべきアート
ブランクーシは光だけでなく、彫刻が置かれる台座にも大きな関心を持っていた。アトリエの光を再現した展示室でも、彫刻はそれぞれ異なる台座に置かれている。島本さんはブランクーシが台座について、ロダン以降の大きな革新を行ったという。 「西洋において従来、台座は彫刻を作品として顕示すべく機能してきましたが、ブランクーシはその台座を作品の一部として取り込みました。この展覧会には出品されていませんが、《無限柱》などは台座だったものを引き延ばして作品化したものであり、台座のみで成立している彫刻だとも考えることができます。彼の作品には鋭角的なもの、丸いものといったいろいろな性質のフォルムのエッセンスが取り出されて組み合わされています。また木や大理石など違う材質のものを積み重ねられてリズムをなすこともある。ブランクーシにとって構造の一番上に来る彫刻が特別な意味をもっていたことは紛れもありませんが、その周辺の要素についても、彼は自らの手の刻印を残さずにはいられなかったのです」(島本さん)
ブランクーシは作品の多くを売らずに手元に置いていた。彼は自らの死後、その作品を遺贈するとともにアトリエを保存してほしいという遺言を残している。フランス政府はその遺言に従って、1962年にパリの〈パレ・ド・トーキョー〉の内部にアトリエを移設、その後、1977年にレンゾ・ピアノの設計で〈ポンピドゥー・センター〉の前庭に彼のアトリエを再現した〈アトリエ・ブランクーシ〉をつくった。
「彼にとってアトリエの内部空間とは彫刻があり、その彫刻が相互に連関しあって成立するものなのでしょう。また彼は複数の彫刻をグループとして、組み合わせのようなものとしてとらえていたようにも思います。自分が生み出したものを集めて、自分自身の創作をトレースしていたのかもしれません」(島本さん)
展覧会場には青い背景の前に《雄鶏》が、赤い背景の前に《空間の鳥》が置かれた一角がある。ブランクーシのアトリエは白一色であり、服も白いものを好んで着るなど、彼は白という色にこだわりを持っていた。しかしアトリエを撮影したモノクロ写真には着色した壁が写っており、パリの〈アトリエ・ブランクーシ〉にも同様の壁がある。このことに関してブランクーシの発言は残っていない。が、彼にとって彫刻と空間の関係において色も重要な要素の一つであったことをうかがわせる。