『薬屋のひとりごと』なぜメガヒット作品に? 異色の「なろう系」が切り拓いた新ジャンル
待望のTVアニメ第2期が2025年1月10日からスタートする日向夏のライトノベル『薬屋のひとりごと』(ヒーロー文庫)。中華風王朝の王宮を舞台に、薬学や医学の知識に秀でた少女・猫猫(マオマオ)がさまざまな事件を解決していくミステリー的な展開を軸に、壬氏という美貌の宦官と猫猫との関係を描いて、ミステリー好きからラブストーリー好きまで広い層を引きつけている。見渡せば中華風国家の後宮や王宮で謎解きをする作品も続々登場。『薬屋のひとりごと』がライトノベルに与えたインパクトは小さくない。 【画像】『薬屋のひとりごと』美麗イラスト全302点を掲載した画集 猫猫役を演じる悠木碧の帯コメント公開 ▪️圧倒的な人気を誇る『薬屋のひとりごと』 2400万部から3800万部へ。小説やコミックとして展開されている『薬屋のひとりごと』シリーズは、TVアニメの第1期が始まる直前の2023年9月末から1年で実に1400万部を積み増した。ライトノベルのベストセラーランキングを既刊本が占拠する事態も起こったほどの人気の爆発は、TVアニメのクオリティが高く、原作小説やコミカライズを読んだことがない人たちが、手に取って読んでみたいと思ったことが背景あるだろう。 主人公の猫猫は、年若いながらも達観したところがある少女で、人さらいに遭って売り飛ばされた後宮でも動じることなく、皇帝の妃たちの間で起こっていた体調不良の原因を言い当てる名探偵ぶりを発揮した。壬氏という、後宮を取り仕切っている美貌の宦官にもなびくことなく、自分を貫き続けるふてぶてしさを持った猫猫を、TVアニメでは人気と実力を兼ね備えた声優の悠木碧が見事に演じてのけた。 『薬屋のひとりごと』シリーズの読者だった人は、抱いていたイメージ通りの猫猫を見ることができたと喜び、TVアニメで初めて作品に触れた人も、江戸川コナンが少女になったようなちょっぴり生意気で頭が切れるキャラクターの虜となったことだろう。壬氏の方も、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のラウダ・ニールや『【推しの子】』のアクアを演じて人気急上昇中だった大塚剛央が、甘くて優しげに見えて実際は権謀術数の渦巻く後宮や王宮で巧妙に立ち回る能吏であり、同時に高貴さも持った男という役を見事に演じてファンを増やした。 そんな猫猫と壬氏が組むような形で進んでいったストーリーでは、後宮なり王宮という場所ならではの事件が発生して、架空のものでありながらも後宮や王宮とはそういう場所なのだといった想像をかきたてた。同時に、猫猫が繰り出す薬学であったり医学であったりといった知識にも驚かされた。 ▪️中華後宮×謎解き×医療×強いキャラクター性 『薬屋のひとりごと』が拓いた境地 ストーリーを通して医療の世界に迫れるミステリーなら、帚木蓬生の『閉鎖病棟』(新潮文庫)があり海堂尊の『チーム・バチスタの栄光』(宝島社文庫)があり、TVアニメが『薬屋のひとりごと』第2期と同じ2025年1月から始まる知念実希人の『天久鷹央の推理カルテ』(実業之日本社文庫)もあってと枚挙にいとまがない。中華風の世界が舞台となっている作品も、小野不由美の「十二国記」シリーズがあり雪乃紗衣「彩雲国物語」シリーズがあり上橋菜穂子「精霊の守り人」シリーズもあってと、先行するヒット作が幾つもある。架空の後宮で活躍する元気な少女という設定なら、酒見賢一『後宮小説』(新潮文庫)が今も強い存在感を保っている。 ただ、舞台が中華風帝国の後宮であり王宮でありと特殊な上に、繰り出される謎解きに医療なり薬学といった要素があり、なおかつライトノベルならではの強いキャラクター性も持っている作品はなかなかない。そんな、どれを取っても興味をそそられる要素が幾つも組み合わさっているのだから、『薬屋のひとりごと』が面白くない訳がない。TVアニメ化される以前から、2400万部というとてつもない売上を記録していたのも当然だ。 もともとは小説投稿サイトの「小説家になろう」に連載されていた『薬屋のひとりごと』。どちらかといえば異世界に転生・転移した主人公がさまざまな苦難を乗り越え、大冒険を繰り広げるような作品が多く連載され、次々と書籍化されてメジャーになっていった中でやや異色だった。今となってはそうした異色さが、異世界転生を好んで読む男性読者だけに届くようなことにならず、後宮の華やかさであり壬氏の麗しさに惹かれた女性の読者にも広がる要因となったとも言える。 キャラクターでも、玉葉妃や梨花妃、里樹妃たちがそれぞれに出身の家の事情を抱え、後宮で懸命に生きている姿が、高貴な身分であっても生きるのに大変なことは変わりないといった思いを抱かせた。猫猫が世話になっていた最高級妓楼「緑青館」でトップを張る梅梅、白鈴、女華といった三姫の生き様にも、何かを感じ取らせるものがあった。そして羅漢。片眼鏡をかけた胡散臭げな武官のどうにも嫌らしい言動に辟易させられていたら、驚きの正体が分かり感動の再会劇を見せられた。 多彩なキャラクターのそれぞれに背景を持たせ、猫猫との関係性も含めて描ききって引きつける。狭い場所での謎解きだけに止めず、ラブストーリーだけにも終わらせないで社会への目配りもしっかりと含ませたところに、普段はライトノベルを読まない層でも手に取って面白いと思えた理由があったのかもしれない。3800万部という数字も、そうした層が手に取ってこそのものだろう。 第2期へと突入するTVアニメで描かれるストーリーでは、瀬戸麻沙美が声を演じる子翠という名の虫好きの下女が登場して、薬の材料に目がない猫猫と仲良くなってストーリーに絡んでくる。その先で王宮であり皇帝に及ぶ騒動が巻き起こる展開は、それこそ謀略小説のような面白さを与えてくれる。さらに物語が進むと、猫猫は壬氏と遠方の西都へと赴いて、そこで命に関わるような大冒険を繰り広げる。後宮が舞台のミステリーから国家的謀略に挑むサスペンスへ。こうした物語の拡張ぶりも、『薬屋のひとりごと』のライトノベルとして他にあまり例を見ない特徴だ。 ▪️他作に与えた影響 『薬屋のひとりごと』の大ヒットは、後宮や王宮を舞台に謎解きをテーマにした作品を増やす状況も引き起こした。ライトノベルのようにキャラクター性を強く打ち出しながらも、異世界転生やラブコメといったライトノベルで主流となったジャンルから離れた作品を引き取り、刊行するようになったキャラクター小説なりライト文芸と呼ばれるカテゴリーで、幾つもの”後宮医療ミステリー”と呼ばれるような作品が出ている。 例えば、第6回角川文庫キャラクター小説大賞で大賞と読者賞を受賞した小野はるか『後宮の検屍女官』(角川文庫)は、中華風の国にある後宮で働くちょっぴり怠惰な女官が、事件ともなると活発になって持ち前の検屍の知識で謎を解き明かしていくストーリーで、猫猫とはまた違った活躍ぶりを見せてくれる。甲斐田紫乃『旺華国後宮の薬師』(富士見L文庫)は、苦くない薬を求める皇帝に応えようとする後宮の薬師が王宮の陰謀に挑む。どちらも巻を重ねて人気の作品だ。由緒正しい宮廷医の家に生まれた娘が、どんな病も治すという闇医者と知り合い、後宮などで起こる難題に挑む冬馬倫『宮廷医の娘』(メディアワークス文庫)も巻を重ねている。 中華風の世界が舞台ということなら、TVアニメ化された白川紺子『後宮の烏』(集英社オレンジ文庫)が人気で、他にも毎月のように新作が送り出されている。喜多咲子『捨てられた皇后は暴君を許さない~かくも愛しき蟠桃~』(集英社オレンジ文庫)は放蕩を続ける皇帝に変わって政(まつりごと)を行っていた聡明な皇后が、皇帝によっていったん放逐されたもののそこに未来から来たという人物が現れ、国を救うために奔走するというSF仕立ての作品まで登場している。 「後宮」なり「中華風世界」をライトノベルやキャラクター小説の世界に身近にし、ミステリー的なストーリーを太い流れにしたと言える『薬屋のひとりごと』。その人気の先で、並び立つような作品が登場してくるのかが気になるところだ。
タニグチリウイチ