被災文書の保存修復に取り組む 奈良大学名誉教授・西山要一さん
保存科学は人間を見つめる学問
津波にまみれた文書には、海水の塩分を抜く脱塩処置を施す。吸い取り紙を文書の裏に当て、ろ過水を噴霧。ろ過水に溶けだしたわずかな塩分が、吸い取り紙に吸収される。ろ過水噴霧・吸い取り紙交換の反復作業を8回繰り返した末、ようやく一点の文書の脱塩処置が終わるという。労多くして報われることの少ない作業が、黙々と続く。 「地籍図は行政によって指定された文化財ではありません。しかし、明治時代の社会の仕組みや当時の人たちの暮らしぶりがよく分かる。地元にとっては宝物でしょう。私たちは被災地から遠く離れた奈良でも、何かできることはないかと、ずっと考えてきました。被災した人たちが宝物を保存して後世に伝えていくことに、少しでも手を貸すことができるのは大きな喜びです」(西山さん) 西光寺文書は多岐に及んだ。経典の他、歴代住職の覚書、全国的にも貴重な仏教辞典の初版本、アイヌ語の研究ノートなども含まれていた。保存修復活動を通じて、寺院が信仰の拠点としてばかりではなく、地域のコミュニティセンターとして多様な文化活動を展開した様子が改めて浮かび上がってきた。西山さんはすべての文書を網羅した目録を作成して、西光寺に提供。西光寺文書が南三陸町の生活史などの研究に役立つ可能性が広がってきた。 「保存科学は分析機器など、最先端の技術を駆使するが、人間を知るための手段のひとつだ。得られたデータを突き詰めていけば、いささか飛躍にはなりますが、自分の生き方が見えてくる。保存科学は人間そのものを語る学問だと思います」(西山さん)
奈良大学主催の市民向け生涯学習講座「ならまちナイトスクーリング」が奈良市内で開催され、西山さんが災害と文化財保護をテーマに講演した。西光寺文書などの保存修復活動の報告と併せて、イタリアの保存修復技術水準の高さを紹介。イタリアで震災発生後に市民が自発的に文化財や文書の保存修復に参加した経緯を踏まえて、保存修復の専門家を育成する環境が醸成された歴史的背景などに言及した。
西山さんらは東北の被災地を繰り返し訪問し、新たな交流の輪が広がる。文化財保護を通じて市民が共生する時代が訪れるようとしている。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑)