ナチス・ドイツが略奪したポーランドの聖母子画を巡るミステリー 80年後に東京で見つかった絵には「違う部分」、科学調査が謎を解いた
2021年秋、東京都江東区の「毎日オークション」に、女性が幼子を抱きかかえる「聖母子」の絵画が運び込まれた。所有者から競りにかけてほしいとの依頼を受けたためだ。サイズは106・7センチ×89・8センチ、保存状態は良好。翌年1月下旬のオークションにかけられることが決まり、事前周知のためホームページに写真が掲載された。 すると、ポーランドの文化・国家遺産省からこんなメールが届いた。 「その絵は第2次世界大戦中、ポーランドがナチス・ドイツに奪われた『略奪美術品』の疑いがある」 毎日オークションの小野山良明副部長は驚いた。「こんなことが起こるとは思いもせず、本当にそんな部署があるのか大使館に問い合わせました」 ポーランド側は、イタリア人画家アレッサンドロ・トゥルキが描いた「聖母子」と指摘。オークションへの出品が見送られることになった。ただ、関係者が当時の写真と見比べたところ、一部に明確な違いが見つかった…。
戦時中にナチスに奪われた美術品が、日本国内で見つかるのは極めてまれだ。この聖母子も最終的に「略奪美術品」と認定され、ポーランドへの返還につながる。実物と写真との違いの「謎」を解き明かしたのは、ポーランドの調査チームだった。歴史に翻弄され、80年をかけて世界を一周した絵画の足取りを追った。(共同通信=三吉聖悟) ▽ポーランドからニューヨークへ トゥルキ(1578~1649年)が描いた「聖母子」は、記録によるとポーランドでは最初に美術品収集家でもある政治家が所有し、その後は南東部プシェボルスクの貴族のコレクションに加えられた。 第2次大戦が勃発すると、プシェボルスクはナチス・ドイツの占領下に。聖母子はドイツ軍の手により、1940年ごろ、所有者の貴族宅から運び出された。 ナチス・ドイツは大戦中、各地で美術品の略奪を繰り広げた。その狙いは、ユダヤ文化を消滅させようとするホロコースト(大量虐殺)の一環だったとも言われている。また、金銭的な目的や、ヒトラーら幹部が個人的に美術品を求めた側面もあったとされる。ナチス・ドイツだけでなく、旧ソ連軍も戦利品として美術品を持ち帰り、売買などを通じて世界中に拡散した。ポーランドでは、略奪や破壊の被害に遭った美術品や書籍などが50万点以上と推定される。