ナチス・ドイツが略奪したポーランドの聖母子画を巡るミステリー 80年後に東京で見つかった絵には「違う部分」、科学調査が謎を解いた
ナチス・ドイツはポーランドから奪い去った収集品を3段階にクラス分けし、カタログを作製している。最も貴重な「第1選抜」の521作品のうち、聖母子には「145」という番号が割り振られた。写真はこの時に撮影された。 聖母子はその後、1990年代に米ニューヨークでオークションに出されたのを最後に行方が分からなくなった。今回、日本で見つかるまでの詳しい経緯は分かっていない。 ▽オークション直前、再び出品見送り 毎日オークションに持ち込まれた「聖母子」と、ナチスに略奪された当時の写真との違いは、幼子が身にまとう産着の描かれ方にあった。写真の幼子はほぼ裸だったが、見つかった絵画では下半身が隠れるように産着が描かれている。 明確な違いがあったことで、ポーランド側からは「調査対象外」と連絡があり、聖母子は改めて競りにかけられることになった。オークション参加者らが事前に実物を品定めする下見も行われ、いよいよ競りが行われる直前、文化・国家遺産省から再度連絡が入った。「略奪された絵画の可能性が捨てきれない」。再び出品は見送られた。
ポーランド側は調査チームを日本に派遣。確認作業が始まった。文化・国家遺産省の担当者が分析のポイントを明かした。 「絵画の同一性分析においては、絵画の構図だけでなく構造も考慮に入れました。1939~1940年ごろにドイツ軍が撮影した写真で確認できる細部を、2022年の検証時に撮影した絵画の写真と比較しました」 まず、写真で特徴的だったキャンバスの横糸と縦糸に印がつけられた。東京で見つかった絵画のキャンバスの横糸・縦糸と、写真のそれを比較すると、撮影条件が異なっているにも関わらず、複数の箇所で重なった。さらに、強い力で引っ張られてできたとみられるキャンバス左端のゆがみも一致。文化・国家遺産省の担当者は「私たちは常に、作品に特徴的な唯一無二の細部、いわゆる作品の『指紋』を探しています」と説明した。 最大の謎だった「産着」については、絵画に紫外線を照射した結果、答えが浮かび上がってきた。産着は、何者かによって描き足されたものだった。