<tonan前橋>J3落選のチーム あきらめぬ夢
来年から新設されるJ3に参加する12チームが、ほぼ出そろってきた。JFLから参戦を表明している町田ゼルビア、ツエーゲン金沢など10チームがほぼ確定。J1及びJ2の若手で構成されるU‐22選抜が、「J3特別参加枠」として加わることも内定している。 [表]J3候補だった19クラブ 残る1枠を地域リーグのグルージャ盛岡(東北1部)、アスルクラロ沼津(東海1部)、レノファ山口(中国)で争う図式となるが、ここまでの審査の過程で、Jリーグ側が断腸の思いで非承認の結論を下したクラブがあることをご存知だろうか。
サッカー場が試合基準に届かなかった
群馬県前橋市を本拠地とするtonan前橋(関東1部)は、ホームスタジアムとして申請した前橋総合運動公園陸上競技場・サッカー場の設備がJ3の試合開催基準に届かなかったとして、15日のJリーグ理事会で「要件未充足」と判断された。 J3元年に出航する船には乗り遅れてしまったtonan前橋だが、ジュニアユースや小学生・幼稚園年代へのスクールなどを通じて、地元の子どもたちの育成に寄与してきた歴史に対する評価は高い。ピラミッドの頂点にtonan前橋を頂く形で、現在は10もの下部組織が活動。その中には女子チームや50歳以上のシニアチームも含まれ、スクールの登録人数は実に1200人を超えている。 J3準備室のメンバーを務める、Jリーグ管理統括本部の岩本暢アシスタントチーフは言う。 「育成だけでなく、行政との風通しもいい。地元と上手くやれているという点では、J3に申請した19クラブの中でピカイチ。Jリーグの理念である百年構想を体現する存在と言えるでしょう」
前橋商業OBが集まったtonan前橋
JR両毛線の前橋大島駅の北口を出て、遠方に赤城山を見ながら北へ歩くこと約10分。住宅と餃子工場に囲まれた一角に、tonan前橋にとっての「聖地」となる図南サッカーパークが姿を現す。 1994年に土のグラウンドとして完成し、2007年には人工芝に張り替えられたナイター照明付きの立派なピッチ。ゴール裏には事務所やロッカールームのあるクラブハウスが隣接している。地元の名門校、前橋商業のOBたちが集まり、母校の校歌の歌詞に用いられた『図南』という言葉を冠した図南サッカークラブが結成されたのは1982年。もっとも、発音通りに「トナン」と呼ばれるまでには1年ほどの時間を要した。 当時から選手、キャプテン、監督、代表を務め、いま現在は監督兼代表として東奔西走する菅原宏が苦笑いしながら振り返る。もちろん菅原も、今年五十路となった前橋商業OBだ。 「何度も何度も『ズナン』と呼ばれましたよ。群馬県の3部リーグからスタートしたけど、試合に人数が揃わなくて、いつも9人くらいで試合をして。仕事を終えた選手が後半から駆けつけてきたりしてね」 県リーグをステップアップしていくにつれて、練習試合などで日本リーグ勢の胸を借りる機会も増えてきた。日産自動車(現横浜F・マリノス)や読売クラブ(現東京ヴェルディ)の練習場に出向いた菅原の目に飛び込んできた光景は、いま現在に至る原点となっている。