<tonan前橋>J3落選のチーム あきらめぬ夢
プロ契約のいないtonan前橋
そのころ、菅原は昼間に練習ができる環境を必死に整えていた。県リーグや関東リーグは原則デーゲームでの開催となるため、ナイター練習では選手のコンディション維持に問題が生じるからだ。 いま現在もtonan前橋にプロ契約を結んでいる選手はいない。サテライトを含めた選手44人のうち7割ほどは運営会社の株式会社図南クラブ、自らが社長を務める建設会社の株式会社菅原ほかの社員であり、スクールのコーチで生計を立てている。 残る選手に対しては、菅原が前橋市内で仕事を確保。中には介護事業に従事し、夜勤明けで午前中の練習に駆けつける選手もいる。練習後に慌ただしく仕事場へ向かう選手も然り。それでも、練習する光景は大好きなサッカーに打ち込める現状への喜びに満ちている。 2011年までザスパに在籍し、今年からtonan前橋の最終ラインを束ねる田中淳は笑う。 「言葉は悪いけど、サッカー馬鹿が集まっているクラブ。サッカーが大好きでしょうがなかった昔の自分を思い出させてくれたことは、今後の人生でプラスになりますよね」 トップチームの今年の活動資金は約1300万円。チームスポンサーはつけていない。収入はスクールの講習料に加えて、実はサッカーを通して菅原が作り上げたスキームがある。 U‐18やU‐15のアディダスカップなど、菅原は数多くの育成年代の大会を前橋市に誘致。県外から訪れるチームが宿泊するホテルや旅館、昼食のお弁当が注文される食品会社などを協賛企業として募集し、売り上げの一部がtonan前橋への寄付となる流れだ。
黄金世代生まれのキャプテンの存在
まさに人と街をどんどん巻き込んでいく菅原のパワーと情熱。誰よりもそれを感じ、魅せられたのがキャプテンのMF氏家英行となるだろう。 日本サッカー界の黄金世代と呼ばれる1979年に生まれた。今年で34歳。フィリップ・トルシエ監督に率いられたU‐20日本代表の一員として、1999年のワールドユース選手権準優勝を経験し、スペインとの決勝戦では先発も果たしている。 大宮アルディージャからザスパに移った2005年。シーズン途中に発覚した金銭未払い問題の余波を受ける形で戦力外を通告され、行き場を失いかけていたときに、知人を介して菅原と出会った。 菅原はストレートに思いの丈を伝えてきた。 「いずれは指導者になりたいんだろう。だったら、ここで自分の城をつくれ」 選択肢のひとつだったブンデスリーガ3部のチームは、GMが更迭されたことで契約内定がご破算になっていた。当時27歳だった氏家は、ほどなくして決意を固めている。 「菅原さんからは、地元の子どもたちの未来に対する熱い思いがひしひしと伝わってきた。僕のようにプロだった選手がプレーしながら子どもたちを教えれば、さらに大きな夢を持ってくれるんじゃないか。こういう地域クラブがJリーグに上がれば、自分の人生そのものも強くなるんじゃないかと思って」