柔道五輪3連覇の野村、引退試合で3回戦負けも「幸せだった!」
全日本実業柔道個人選手権が29日、兵庫県・尼崎のベイコム総合体育館で行われ、この大会を限りに引退を表明していた五輪3連覇の野村忠宏(40歳、ミキハウス)が60キロ級に出場。1回戦を1本背負い、2回戦を背負い投げの連続1本勝ちで勝ち進んだが、3回戦で椿龍憧(23歳、AKSOK新潟)に、開始26秒、腰車でひっくり返され一本負けを喫した。 応援席には、元天理高監督だった父親や家族、親交の深い後輩の競泳の北島康介や、フェンシングの太田雄貴ら五輪メダリストも駆けつけ負けたにもかかわらわず大声援が会場を包んだ。「幸せだった」と、最後の試合を結んだ野村は、柔道界に大きな遺産を残した。
腰車でクルっと背中から投げつけられた。1本負け……畳の上に仰向けになったまま野村は、しばらく動かなかった。「ああ、終わったな。うまくはめられたな」。映画のワンシーンのように、過去の栄光と挫折、そして故障と最後まで戦い続けた軌跡が脳裏を駆け巡る。 「勝負の世界。豪快に負けた。でも、これが今の実力。悔いはない。胸を張っていい負け方だったと思う。緊張や恐怖、プレッシャー、喜びや感動、いろんなものを柔道が与えてくれた、ちょっと寂しい気持ちもあるが、ここまでよくやったな」 野村は、時折、涙ぐんだ。 引退試合は、ベスト8進出をかけた3回戦で終わった。だが、1、2回戦は、まるでかつての野村が蘇ったかのようだった。 1回戦では、上田卓(28歳、トヨタ自動車)を開始わずか10秒で左腕をぐいとつかんで鮮やかな1本背負い。2回戦では、阿部泰博(33歳、東北大柔道クラブ)から技ありを取っておき、続けて今度は背負いで畳に叩き付けた。連続1本勝ちである。 心の支えが背負い投げだった。 3歳から柔道を始めた野村は、まず祖父の野村彦忠さんに「体の小さい子は背負いと小内刈を覚えなさい」と、手ほどきを受けた。中学卒業時の文春には「一撃必殺。背負い投げ」という言葉を書き残している。その中学生時代には、体重は32キロ。女子に負けたのは、今では有名な偉人伝になっているが、攻める柔道の象徴である背負い投げが、野村の3連覇を支え、40歳になってからも、調子を推し量るバロメーターであり、最後まで頼りになる切り札でもあった。 「左の一本背負いと背負いは、僕の代名詞とも言える担ぎ技。本来なら足技を絡めてから決めたかったが、それで勝てたのは良かった。狙って入ったわけでなく感覚で出た」 まさに野村柔道の真髄だった。 10秒で敗れた上田は、「ぐっと力が入ったわけじゃないんです。力が入るときと入らないときがあって、入ったと思った瞬間投げられていた」と言えば、阿部も「決してフィジカルが強いわけではなく、僕が言うのもおこがましいのですが、柔道を知っているというか、凄い技のキレだった」と言った。 脱力の感覚。それが背負いだけでなく柔道に求めてきた奥義である。だが、怪我に泣かさせるようになって、肉体と感覚にズレを感じ始めた。フィジカルトレーニングをうまく組み合わせながら、肉体と感覚のズレを埋めようとしたが、故障再発への恐怖感が、相手を力でコントロールしようとするパワー柔道に走らせた。その柔道の脱力感をどう取り戻すかも、晩年の野村の大きなテーマだった。背負いで始まり背負いで終わる。そして1本勝ちへの強いこだわり。野村は満足していないのかもしれないが、最後の最後に少しは脱力の極意を表現できたのではなかろうか。