藤井聡太22歳は「タイトル戦4年で不戦敗なし」ただ出産前の福間香奈女流五冠が…元A級棋士が見る“棋士の休場”「大山康晴名人は鉄人だった」
藤井七冠はタイトル戦、4年間休場なし
棋士がコロナウィルスやインフルエンザなどの感染症にかかった場合、対局の2日前までに将棋連盟に連絡すれば、原則として不戦敗とならず対局延期が認められる。前日や当日だと不戦敗になりかねない。 コロナウィルスが蔓延していた20年から22年の頃は、コロナに感染した棋士は少なかった。しかし、23年5月に「5類」に移行して以降、感染したと発表される棋士は将棋連盟の発表によると20人以上で、羽生善治九段、佐藤康光九段、高見泰地七段、澤田真吾七段、西山女流三冠など。ただ重い病状にはならず、全員が所定の療養期間を経て公式戦に復帰している。 藤井聡太竜王・名人は2016年に棋士になってから8年、タイトル戦に出場し続けてから4年になる。対局や公の場では健やかな様子をいつも見せている。22歳と若いうえに、対局に専念できる環境を日常的に保っているので、体調を崩すことはないようだ。今後も「無事是名馬」を通してほしい。 棋士が病気や負傷、公務などの事由で公式戦を休場する場合、その期間は原則として1年度(4月~翌年3月)である。それは順位戦の規定に関連している。休場しても降級・降級点に該当せず、翌期は最下位の張出となる。2期連続で休場すると、降級・降級点に該当する。なお、順位戦の途中で休場した場合、残りの対局は不戦敗となる。
鉄人・大山康晴はガン転移もA級順位戦に
そんな将棋界にあって鉄人と呼ばれたのが、大山康晴十五世名人である。 公私ともに精力的に活動したものの、長い年月に無理が少しずつ重なったようだ。1984年に大腸ガンに罹患し、同年度はA級順位戦を含めて公式戦を休場した。85年度のA級順位戦では6勝4敗で三者プレーオフに進出し、加藤一二三・九段、米長邦雄九段を連破して、86年に63歳で名人戦の挑戦者になった。大山は中原誠名人との名人戦七番勝負は1勝4敗で敗退したが、病気を克服したのは見事だった。 それから数年後の91年10月、大山は肝臓へのガン転移が発覚した。その時点でA級順位戦の成績は2勝2敗。残り5局を不戦敗するとA級から降級する。「A級から落ちたら引退する」とかねてから公言していた大山は、手術を受ける前にA級順位戦の対局を強行し、4日間で2局も指して1勝1敗の結果だった。そして12月下旬に退院して92年1月下旬に公式戦に復帰すると、A級順位戦で高橋道雄九段、米長九段、谷川浩司竜王を連破して6勝3敗の成績を挙げた。名人戦の四者プレーオフに進出したが、1回戦で敗れた。 大山の驚異的な復活劇は「まさに不死鳥」として称賛された。ただ病状は完全に治ったわけではなく、医者には公式戦の休場を強く言われた。1年の休場でA級から落ちることはない。それでも大山は92年度のA級順位戦に出場し、1局目を指した翌月の7月26日に69歳で死去した。生涯現役とA級順位戦に殉じたといえる。
(「将棋PRESS」田丸昇 = 文)