日ロ交流史、壁画の設置構想 ゆかりの下田・富士・沼津 和親条約170年の“節目”目前
江戸時代からロシアとゆかりのある下田と富士、沼津の3市で、有志が同国との交流の歴史を伝える壁画の設置を構想していることが4日、関係者への取材で分かった。同国と各市との交流を巡っては2022年のウクライナ侵攻後、事実上途絶えていて「長く刻まれてきた歴史までなかったことになるのはあまりに寂しい」と関係者。実現すれば、侵攻以後で初めての大規模な関連事業となる可能性がある。 同日、元防衛庁長官で富士市日ロ友好協会名誉会長の斉藤斗志二さん(79)が取材に明らかにした。3市は幕末、ディアナ号を率いたロシアのプチャーチン提督と縁がある。各地の堤防や防波堤に当時の様子を描いた複数の壁画を「歴史絵巻のように」設置し、顕彰につなげる考え。 下田港(下田市)や田子の浦(富士市)、戸田地区(沼津市)を想定していて、既に候補地を所有する国や県にも構想を持ちかけているという。日ロ交流の関係団体などと連携した上で、壁画の制作に向け芸術関係の教育機関の協力を仰ぐとしている。 斉藤さんは「政治問題と歴史は分けて考えなくてはならない」と説明。下田で日露和親条約が締結されてから2025年が170年の節目であると強調し「日ロ友好に光を当てづらい情勢だからこそ、この節目を逃してはいけない。2、3年以内に実現させる」とした。 ディアナ号は日露和親条約締結のため下田に来航した安政元年(1854年)の11月4日に、大地震に伴う「安政の大津波」にのみ込まれ大破。下田市の玉泉寺墓地には乗組員らが眠っていて、この日は関係者が参列し祈りをささげた。 侵攻以前には度々慰霊祭が執り行われたが、現在は「式典の代わりにせめて」と節目に墓前に花を手向ける。「われわれ関係者も高齢化が進んでいる。記憶の継承へ猶予はない」と日本・ロシア協会下田支部代表の杉坂太郎さん(79)。現在のロシアの蛮行に怒りをにじませつつ、交流の明かりが再びともる日を願う。 ■ディアナ号とヘダ号が縁 下田と富士、沼津の3市はロシアと幕末からつながりがある。ロシアのプチャーチン提督率いるディアナ号と、代船のヘダ号造船の逸話が今も各地に残る。 ディアナ号が大津波により下田で大破した際、ロシア側は海上での地元住民の救出や陸上への医師派遣を申し出たと伝わる。船はその後、修理のため旧戸田村(現沼津市)に向かう途中で今度は天候不良に遭遇。駿河湾の富士市沖に沈み、漂流していた乗組員約500人は沿岸部の住民らにより救助されたとされる。戸田では乗組員帰国のため、ロシア人の設計で地元の船大工が図面に起こしヘダ号が建造された。
静岡新聞社