尾崎豊ってどんな人だった? 弁護士会会長になった兄に20代記者が聞いた「ユタカの生涯」 「弟らしさが最も現れている曲」とは?
康さんに、豊さんらしさが最も表れている楽曲を聞くと「シェリー」を挙げてくれた。 「シェリー いつになれば 俺ははい上がれるだろう」―。 康さんに理由を聞くと、こう答えた。「華やかなデビューとは裏腹に、学生時代は最低最悪な状況だった。オーディションに合格しても、歌手の道に半信半疑だった両親は、高校に復学して進学するよう言い続けた。『俺はまだまだ恨まれているか』と泣くように歌う姿に共感する人は多かったはず」 ▽社会に問いを投げた弟、遺志を継ぐ兄 今も康さんの記憶に強く残るのは、2人で飲んだ時に豊さんが得意げに口にした漢詩の一節だという。 「不如生前、一杯ノ酒(しかじせいぜん、いっぱいのさけ)」 死後に莫大な財産を残すより、生きているうちの一杯の酒の方が価値があるという意味。短歌を趣味とした父が豊さんに教えたものだった。「自分にとって豊は、誇らしい弟でもあり、アニキと慕うかわいい弟でもあった。もっと長生きしてほしかった」。そう語る康さんの目には涙が浮かんでいた。
「豊は歌うことで社会に問いを投げかけた。自分も恐れずに言うべきことを言う姿勢を大事にしたい」。康さんは、豊さんが夢見た景色に思いを巡らせ、歩みを進める。 最後に弁護士としての矜持を聞いた。「弟は押さえ付けてくる大人たちのやり方に反発し、自由に生きたいと感じていた。弁護士も自由を制限するものには反対し、憲法に忠実であるべきだ。使命である人権擁護や社会正義の実現に、力を入れたい」 【インタビューの動画はこちら】 https://www.youtube.com/watch?v=NFUS9Vla7XA&t=64s