669球を投げた智弁の選抜V投手がドラフト上位候補とならない理由
春のセンバツの決勝戦は、緊張感に包まれた名勝負だった。 3月31日、甲子園で争われた決勝は、56年ぶりの古豪復活を狙う高松商の浦大輝(3年)と、初優勝に賭ける村上頌樹(3年)の息づまる投手戦。1-1のまま延長戦にもつれこみ、11回裏、二死から高橋直暉(3年)がセンター前ヒットで出塁、前進守備だったセンターの頭上を6番で起用されていた村上の打球が襲う。「心の中で抜けろと願った」という村上の思いをのせてフェンスで跳ね返った。高松商、守備陣の決死の中継プレーでボールはホームに帰ってきたが、高橋が手からサヨナラホームに滑り込んだ。 智弁学園の投打のヒーローとなった村上は、この試合で11回、160球を投げ、決勝までの5試合すべてに完投して、その球数は実に669球に及んだ。669球のことを聞かれると「最後は下半身に力が入りませんでした。気持ちで負けると負けだ、と投げていました」と、気迫だけで5試合を投げきったことを明らかにした。 防御率は0.38。5試合で47イニングも投げて自責点は、わずかに2点。ほとんどと言っていいほど打たれなかった。ストレートの最速は142キロをマーク。カーブ、スライダー、チェンジアップという変化球の制球力も抜群で三振も5試合で32個を奪ったが、ネット裏のプロのスカウトの村上評の多くが、「C評価」だった。いわゆるドラフトのリストには残すが、“今後を追跡していこう”というカテゴリー。一方、高松商のエース、浦も、各球団のリストの上位には名前がなかった。 元々、センバツの優勝投手は、古くは王貞治(早稲田実)や、松坂大輔(横浜高)、おそらく大成する思われる藤浪晋太郎(大阪桐蔭)などの“別格”をのぞき、プロで大成した例は少ないのだが、なぜ、村上へのプロの評価は高くないのだろうか。
何人かのプロスカウトに話を聞いたが、立場上、オフレコでないと本音を語れないため、ここは元ヤクルトの名スカウト、片岡宏雄氏の解説を聞く。 「相手の打ち気や狙いをうまく外す配球に、それを可能にしているコントロールは素晴しかった。体全体を使えるし技術力も高い。だが、今の段階でプロとなると、ストレートが平均で2、3キロ足らないし、プロでも面白いぞと思わせる変化球の軌道やキレ、下半身を含めた体力の面も物足りない。ノビシロで言えば、浦のほうがあるのかもしれないし、将来性を考えると疑問が沸く。プロの評価で言えば“C”となるだろう。 今すぐプロに入ると周りの選手と自分を比べ自信を失ってしまう可能性もある。春のセンバツでは、夏に比べて疲労度は少なく、バッティングの調子を上げることのできないチームも多いので、今大会のようにしっかりと結果を残すピッチャーが出てきやすい傾向がある。 しかし、村上の安定感は抜群だったし野球センスは感じる、夏までにどれだけ伸びるか。また、すぐにプロへ行かなくとも、大学、社会人に進めば、技術的には大きな欠陥、課題はないのだから、これまで評価をしていなかったスカウトたちを驚かせるような成長を見せる可能性もある。そういうケースも少なくない」 決してプロ予備軍ではない投手が5試合すべてに完投してチームの初優勝を導いたのだ。その裏には、5試合でわずか失策「4」で守りきった智弁学園のチームとしての団結力と、最後まであきらめない粘りがあったのだろう。 智弁学園は、昨年はヤクルトに2位指名された広岡大志がいて、2年前には巨人に1位指名された岡本和真がいた。スター選手に引っ張られてきた時代は、頂点に立てず、ドラフト上位候補ではない村上をエースに立てて、初の栄冠に輝いた。これこそが、高校野球の魅力なのかもしれない。