内部通報における「忠誠と反逆」/危機管理の切り口から見る近時の裁判例(その3)
本記事は、 西村あさひ が発行する『N&Aニューズレター(2024/5/31号)』を転載したものです。※本ニューズレターは法的助言を目的とするものではなく、個別の案件については当該案件の個別の状況に応じ、日本法または現地法弁護士の適切な助言を求めて頂く必要があります。また、本稿に記載の見解は執筆担当者の個人的見解であり、西村あさひまたは当事務所のクライアントの見解ではありません。
1 内部通報における「忠誠と反逆」
1. 丸山眞男「忠誠と反逆」 「忠誠と反逆」は、丸山眞男氏の著名な著作の1つです※1。丸山氏は、律令における反逆概念や、主に近世における封建的忠誠論や天道論・大義名分論とそこに見られる反逆のエートス※2を踏まえた上で、明治維新から近代的な天皇制中心国家の確立に至るまでの忠誠と反逆のエートスの関係やバランスの構造を分析しています。 ※1 丸山眞男『忠誠と反逆』(筑摩書房1998年)7頁以下に所収されている「忠誠と反逆」参照。 ※2 丸山氏が必ずしも明示するものではありませんが、「反逆」の例として分かり易いのは、『葉隠』等でも著名な「主君への諫言」や、近世大名家臣団での「主君押込」の慣行だろうと思います。 日本政治思想史の専門家でもない私の勝手な読み方ですが、丸山氏の分析として私が理解するところは、次のとおりです。すなわち、明治維新以降の日本の近代化を推進した活力は、多元的な忠誠※3と反逆のエートスであり、忠誠と反逆のエートスは必ずしも矛盾するものでなく共存しているものでした。しかし、近代化に伴う「人格としての天皇=国家=社会」構造の確立に伴って忠誠の対象が集中・単一化されるとともに、その構造の中で反逆のエートスが機能する余地が失われていった(反逆の狭い範囲における集中化による弱体化)、というものです。 ※3 忠誠の対象に関し、私的性質の対象と公的性質の対象とが分離して存在しており、こうした忠誠対象の間に転移や相克等があった、という趣旨です。天道論や大義名分論にも見られるように、忠誠対象が多元的な方が、反逆(変革)は行いやすい、ということであると理解しています。 丸山氏の分析は大正デモクラシーの手前で終わっていますが、丸山氏の分析を更に推し進めれば、反逆のエートスの弱体化が、戦前の日本の社会や国家の硬直化ひいては無謀な戦争と敗戦を導く要因の1つだったとなるのではないかと想像します。 2. 内部通報における反逆のエートス 内部通報や公益通報(以下一括して「内部通報」と言います)は、官庁や企業などの組織における違法不当な行為を、組織内部の役職員等※4が、いわば告発することですが、内部通報は、反逆のエートスであると言うことができると思います。 ※4 内部通報制度では、通報者の保護範囲に組織内部の役職員だけでなく、取引先等も含まれる場合があるところ、本稿では内部通報の典型として、主に組織内部の役職員による内部通報を念頭に置いて論じています。 官庁や企業などの組織に対する「忠誠」と、経営者や上司等の特定の個人に対する「忠誠」とは、同じ忠誠でも対象が異なります。組織内に不祥事があった場合に、役職員がそれを内部通報することは、現状に対する「反逆」かもしれませんが、組織の改善や改革という点で、組織のためになる行為であり、組織に対して忠実な行為です。経営者や上司等に権力が集中する結果、役職員が内部通報を躊躇することになれば(反逆のエートスが失われれば)、その組織は衰退します。 このように、丸山氏の「忠誠と反逆」における分析は、内部通報をめぐる状況に当てはめて論じることもでき、内部通報には「反逆のエートス」としての意義があると言うこともできるのではないかと思います。 3. 内部通報が活性化しない要因 欧米だけでなく日本でも、また、最近だけでなく、ずっと昔から、内部通報が組織における不正を暴いてきました※5。内部通報を活性化し、内部通報を行った役職員等が組織内で孤立したり、報復を受けないように、通報者を保護するために公益通報者保護法が設けられ、裁判例も同法の適用の有無に関わりなく通報者を保護しています。 ※5 この点、報道等で公になっている著名な例について、奥山俊宏『内部告発のケーススタディから読み解く組織の現実 改正公益通報者保護法で何が変わるのか』(朝日新聞出版 2022年)448頁以下の「内部告発をめぐる年表」参照。 このように内部通報は、組織の不祥事を早期に解明するために、また将来の内部通報の可能性による牽制効果を通じて不祥事を予防するためにも、極めて重要ですが、内部通報者を保護する等の制度的な仕組み(例えば、通報者に対する不利益取扱いの禁止、報復行為の処分、通報者の匿名性の保護、外部通報窓口の設置、社外役員等による経営陣に対する通報対応等)を整備しても、内部通報の活性化には、まだまだ課題があります。 例えば、近時の企業の品質不正などでも見られるように、少なからぬ人数の役職員が不正を知っていながら、内部通報もなされないまま、長期間にわたり不正が継続されたという例があります。あるいは、職場のハラスメントにも「見て見ぬ振り」で内部通報の声が上がらない、といった指摘も往々にして見られるところです。企業不祥事があれば、再発防止策では必ずと言ってよいほど内部通報制度の活性化がメニューの1つとして列挙されるわけで、それは内部通報がこれまで活性化していなかったことの裏返しでもあります。 制度を整備しても内部通報の活性化につながらない最大の要因は、役職員の間に、内部通報についてネガティブなイメージがあることだと思います。 内部「通報」や公益「通報」における「通報」という名称が、役職員の間に、五人組や隣組の密告奨励のような、あるいは「先輩や上司・同僚を売る」というような、「倫理的にあまり褒められたことではない」といったイメージを生んでいるのかもしれません。 上司や担当役員などに対する職制上の申告(これも内部通報として保護されます)を行う場合も含め、先輩や上司が行っていることや職場で長年許容されていたこと等に、違法不当ではないか等と異を唱えるとなると、通報者としては、どうしても、周囲から自分が「正論を振りかざすだけで、融通がきかないやつだ」、「協調性がない。大人なら、もっと上手くやれよ」等と思われるのではないか、と思って、二の足を踏んでしまうことはあるのだろうと思います。 内部通報に対する、こうした正論で融通がきかない等といったネガティブな捉え方については、どの官庁や企業といった組織であれ、少なからぬ数の役職員が程度の差はあれ類似した感覚を持っているのが現実ではないか、と思われます。その意味では、これは、少なくとも日本では(近時の米国連邦預金保険公社(FDIC)における職場のハラスメント等の蔓延といった指摘からすると、日本だけではないのかもしれませんが)、一般的に見られる組織風土という面もあると思います。そのため、通報者の匿名性をいかに保護しても、潜在的通報者自身がこうしたネガティブな捉え方を主観的に保有している限りは、制度面の対策には限界があるのだと思います。 4. 内部通報に対するネガティブイメージを是正する方策 もちろん、内部通報の活性化に問題意識を持っている有識者や消費者庁等の官庁、企業等では、内部通報に対するネガティブなイメージを払拭するための方策について、様々な取組を検討しています。例えば、 ●内部通報制度の必要性や重要性を経営トップが繰り返し社内に告知する ●内部通報の件数などを社内報等に定期的に掲載して、内部通報が組織内で幅広く行われおり、希有な事象などではないことを周知する ●内部通報によって自社が損失回避できた事例などを社内報に掲載して通報者を褒めたり、通報者を表彰する ●内部通報があれば通報者に対して社長や担当役員などが謝意を伝える ●内部通報窓口の名称に「スピーク・アップ」や「勇気」※6等といったポジティブな言葉を使う ※6 なお、本稿を作成する過程で、当事務所の平尾覚弁護士、八木浩史弁護士からは、「勇気」については、勇気を出さなければ内部通報はできないのか等と、潜在的内部通報者をかえって心理的に身構えさせてしまうかもしれない、という意見がありましたので、ご紹介します。 等といった取組や検討などです。 私なども、昔、人事院の「公務員倫理に関する懇談会」で、公務員不祥事との関係で、内部通報に対するネガティブなイメージを払拭するための方策について議論させて頂いたこともありました。 こうした方策は様々なアイディアがあり得るところでして、あらかじめ決まった正解などはありません。重要なことは、潜在的通報者自身が保有しているネガティブな捉え方に対して、いかに直接働きかけていくかであり、役職員一人一人が腹落ちするような、役職員一人一人の主観に直接働きかけるような方策を工夫していくことだと思います。 その観点から、たまには、目先を変えて、日本の近代史などに絡めて例えば「内部通報こそ反逆のエートスであって、組織を衰退から守るものだ」といった説明の仕方をすることも無駄ではないだろうと思います。