いま日本の政治に足りないのは「悪人」かもしれない…「悪党政治家」がもっと必要な「納得のワケ」
源義平が勇猛果敢な武将として「悪源太」と呼ばれたように、日本語の「悪」は「強さ」や「精悍さ」を表す言葉としても使われている。 【一覧表】「変節」してしまった石破総理の「持論・政策」 永田町取材歴35年、多くの首相の番記者も務めた産経新聞上席論説委員・乾正人は、いまこそ「悪党政治家」が重要だと語るが、それはいったいなぜなのか? 「悪人」をキーワードに政治を語る『政治家は悪党くらいでちょうどいい!』(ワニブックス刊)より一部を抜粋編集してお送りします。
「悪党政治家天国」だった昭和・平成の時代
私はリクルート事件が猖獗を極めていた平成元(1989)年6月から産経新聞政治部に配属され、35年以上にわたって永田町と霞が関周辺をうろついてきた。その体験から正直に書くと(読者には意外と思われるかもしれないが)、政治家はどんどん清く正しくなり、「善人」たちが増殖しているのだ。 振り返ってみると、事実上の軍部独裁政権だった戦時中を除く昭和から平成初頭にかけて、永田町は「悪党政治家天国」だった。 私が直接間接に見聞した平成初頭も「悪党政治家」たちが縦横無尽に躍動していた。 首相経験者として初めて東京地検特捜部に逮捕された田中角栄は、既に病の床にあったが、自宅に金の延べ棒を隠し持っていた元自民党副総裁・金丸信、リクルート事件の捜査が身辺に迫る中、秘書が自殺した元首相・竹下登、金丸の寵愛を受け、竹下と対立した挙句、自民党を割った元自民党幹事長・小沢一郎、それにロッキード事件やダグラス・グラマン事件、さらにはリクルート事件でも東京地検特捜部に「本命」視されながらも逃げきった大勲位、中曽根康弘ら「悪党政治家」たちが覇を競い、日本政治を動かしていた。
悪党政治家の「悪」とは何か?
ここで、「悪党政治家」の定義を私なりにしてみたい。 もともと日本語の「悪」は、「善悪」の悪とは違う「強さ」や「精悍さ」を表す言葉としても使われていた。 平安末期、鎌倉幕府を開いた源頼朝の長兄・義平は、勇猛果敢な武将として「悪源太」と呼ばれ、朝廷で辣腕を振るった左大臣藤原頼長は「悪左府(あくさふ)」と恐れられたといわれる。 鎌倉末期、河内を拠点に幕府に反旗を翻し、後醍醐天皇が主導した建武の新政へ道を開いた楠木正成も「悪党」と称された。 幕末、長州討伐に乗り出した江戸幕府に対抗するため奇兵隊を結成した高杉晋作や英国公使館焼き討ちに参加した伊藤博文らも「悪党」と呼べるかもしれない。 つまり、ここで用いる「悪党政治家」は、ただ単に倫理的、道徳的に道にはずれた行いをする政治家の意味だけではない(その意味も多少は含ませてはいる。彼らは多かれ少なかれ司法機関が捜査に乗り出してもおかしくないスキャンダルを抱えていたからだ)。 あらゆる手練手管を使って国家権力を握ろうとする意志と実行力を持ち合わせた強い政治家、とでも定義しておこう。