「義務教育が終わったら、うちのバンドに」ジャズ界の巨匠・日野皓正との交流を、ドラマー・石若 駿が語る
マイルス・デイヴィスの音楽遍歴を掘っていった
そんな石若が初めて買ったCDはX(現・X JAPAN)が1993年にリリースしたベストアルバム『X SINGLES』だった。 石若:お年玉をもらって自分でCD屋さんに行って棚からCDを取ってレジで買ったのはこれでしたね。X JAPANが解散したのが1997年だったんですけど、そのニュースを見て。その後にバンドのドキュメンタリーをテレビでよくやっていてカッコいいなって思って、最初はレンタルで聴いていたんですけど、ちゃんとフィジカルとしてほしいと思っていたんでしょうね。 クリス:やっぱりYOSHIKIさんってすごいドラマーなんですか? 石若:そう思います。あのスピードで長時間叩くのはすごいと思います。すごい楽曲もたくさんありますし。 ここで、クリスが「自分のドラムや音楽に影響を受けたアーティストは?」と質問。石若はマイルス・デイヴィスを挙げた。 石若:ジャズスクールで自分はビッグバンドでスタートしたんですけど、そこで日野さんにも出会って、日野さんのルーツ音楽を勉強したくなって。日野さんはよく「自分の父はマイルス・デイヴィスで、祖父はサッチモ(ルイ・アームストロング)だ」って例えていたので、自分もマイルス・デイヴィスを聴いてみようと思って。マイルスって50年代、60年代、70年代、80年代ってとにかく変化し続けていて。それを少年ながらというか、歴史を勉強するように「この時代はこんなことが起きていた」みたいにハマっていきましたね。ジャズの聴き方というか。マイルス1人のアーティストでどう音楽が変化していき、どんな人たちと一緒にどういう音楽を残してきたかと。 特に石若が聴いていたのは60年代~70年代のマイルス・デイヴィスの音楽だったと当時を振り返る。 石若:「黄金のクインテット」と呼ばれる時期があるんですけど、16歳で入ったのかな、トニー・ウィリアムスっていうドラマーがいて。それを聴いていた時期が、自分が13歳とかで、わりと近かったこともあり、トニーのドラムの演奏を聴いて。「え、3年後に僕はこういうプレイができるのかな」みたいな気持ちで聴いていた部分もあって。勝手に近しい先輩みたいな感じでそこに向かって練習をしていましたね。 クリス:どんな練習をしていたんですか? 石若:中学生くらいのときは電子ドラムで練習していて。ヘッドホンでドラムを叩く音を聴きながら、さらにヘッドホンの中にCDプレイヤーのイヤホンを入れてマイルスの音楽をかけながら、いかにもマイルスのクインテットと一緒に演奏しているみたいな練習をよくしていました。トニーのレコーディングで残された音色を電子ドラムで似たように作ったりとかして。そういう風にやっているといろんなことが立体的に聴こえてきて。トニーがここで叩いたらロン・カーターとハービー・ハンコックがそれに対してこう演奏していたんだみたいなのが(わかって)、それは楽しかったですね。