「義務教育が終わったら、うちのバンドに」ジャズ界の巨匠・日野皓正との交流を、ドラマー・石若 駿が語る
日野皓正の楽曲『Shun』制作秘話
石若に大きな影響を与えた日野皓正が2019年にリリースしたアルバム『Beyond the Mirage』には、石若をイメージした楽曲『Shun』が収録されている。 クリス:これはうれしいですよね。 石若:うれしかったですね。日野さんとの関係は今振り返るとすごく面白くて。「義務教育が終わったらうちのバンドに入れよ」って言われて小学生ながらに「はい!」って言ったものの、東京の音楽高校に行っちゃうんですよね。そこで日野さんとちょっと亀裂が入って。 クリス:そうなんだ! でも日野さんも無責任ですよね(笑)。 石若:いや、日野さんはガチだったんですよ。でも僕は札幌から東京に出たら日野さんとたくさん演奏できるチャンスがあるかもしれないと思って。そのためにはどうしよう、高校には行きたい、音楽高校に入るかって。いろんな理由があって。でも日野さんから「ウィントン・マルサリスになるのか、ルイ・アームストロングになるのか、お前はどっちだ?」って言われて。当時、音楽高校に行くためにクラシックも勉強しなくちゃいけないから、僕は「ウィントンも好きで、いいと思います。トランペット協奏曲でも素晴らしい曲を残しているし、ジャズの歴史もたくさん作ってすごいと思います」って言ったら「そうか。じゃあ帰れ」みたいになって。 クリス:うそ!? 石若:対面でそういう話をして。中学1年生だったんですけど。そこで疎遠な感じになったんですけど、僕は諦めないから日野さんの札幌のライブに、サウンドチェックで叩かせてもらいたくて行って、ドラムを聴いてもらったら「お前のドラムはダメだ。野生じゃない」とかアドバイスをもらって。 その後、石若は「自分は自分の道」と切り替えて音楽学校に入り、音楽理論を学んでいったという。 石若:大学に入ったときに、僕が仕切って打楽器だけのコンサートをやったんです。日野さんに絶対に観に来てほしいと思って「僕が学校で勉強してきたことはこういうことだって日野さんに伝えたいので」って連絡したら来てくれて。そのコンサートが終わったら「お前は学校でこんなことを勉強していたのか。すごいな」って言ってくれて。そこから日野さんと演奏できるチャンスが出てきました。いろいろあってから最初に日野さんと長いツアーを一緒にまわった最終日に、小さな厨房みたいなところで「ごめんな。高校に行くなって言ったけど、高校、大学に行ってよかったな」みたいなことを言ってくれて、そこから日野さんのバンドをコアにやることになって。ある日、「お前のドラムソロをフィーチャーする曲を作る」ってことで、それが『Shun』でした。そういう長くて熱いストーリーがあるんです。