「義務教育が終わったら、うちのバンドに」ジャズ界の巨匠・日野皓正との交流を、ドラマー・石若 駿が語る
打楽器奏者でドラマーの石若 駿が、ドラムを始めるきっかけや影響を受けたアーティスト、トランペット奏者の日野皓正との絆について語った。 石若が登場したのは、J-WAVEで放送中の番組『SAPPORO BEER OTOAJITO』(ナビゲーター:クリス・ペプラー)。ビールを飲みながら、クリスとゲストが音楽談義を繰り広げる番組だ。オンエアは6月8日(土)。 この番組では、ゲストがビールに合う“おみや”を紹介する。石若はローソンの「たんぱく質たっぷりのえんどう豆スナック バター醤油味」を持参し、ビールとともに楽しんだ。
「義務教育が終わったらうちのバンドに入れよ」
石若は北海道出身。父が高校の音楽教師、母がピアノ教室の講師をしていたことで、幼い頃から音楽に触れる環境だったという。 石若:父親がブラスバンド部の顧問もやっていたので、楽器のカタログとかが家にあったりするんですよ。そこで僕は打楽器のページを見て、見た目で楽器のドラに惚れてしまって。父親が「そんなに好きなら持って来てやる」って家に32インチくらいの大きなドラを学校から借りてきて、それを鳴らしてすごい音だなっていう少年でした。4歳くらいだったと思います。 クリス:お母さんがピアノの先生ということは、石若さんもピアノを習っていたんですか? 石若:ピアノもやっていましたね。気付いた頃には練習していました。ドラムは、札幌にある札幌ジュニアジャズスクールでちゃんと始めて。ある日、トランペット奏者の日野皓正さんがそのスクールのワークショップに来たときに僕らも演奏して、日野さんとのジョイントもあって。それが終わって「君、いいね」「義務教育が終わったらうちのバンドに入れよ」って真剣に言ってくれて。 クリス:中学校が終わったらうちのバンドに入れと。 石若:そこで日野さんの演奏に圧倒されているわけですから、日野さんのバンドに入りたいなと思って。それは小学5年生くらいのときだったんですけど、自分はドラマーになろうって決めていたかもしれないですね。 幼い頃からいろいろな音楽に触れた石若は、そもそもなぜドラムを選んだのだろうか。 石若:4、5歳のときに、父親が、「そんなにドラやパーカッションに興味があるんだったら、ライブを観に行こう」と連れられたのが、山下洋輔トリオのドラマーだった森山威男さんのライブで。彼が北海道に来ていて、テナーサックス奏者の松風鉱一さんと2時間くらいデュオでフリージャズをして、それを最前列で観て、ドラムの迫力と叩いている残像を間近に見て、カッコいいなって思って。自分もあれやりたいって。それがいちばんのきっかけだったんじゃないですかね。 クリス:そのときからなんとなくドラムの魅力がわかっていたんですか。 石若:当時はジャズっていうのは認識していなかったと思うんですけど、とにかく、ものすごいことがここで行われているっていうのは感じていたと思います。花火みたいでしたね。今でもその光景を覚えているんですけど、バーンみたいな感じでしたね。