江戸川乱歩、遠藤周作、安部公房…「文京区・小日向」にゆかりの文豪や作品が絡まる『坂の中のまち』(レビュー)
中島京子といえば、田山花袋の『蒲団』を下敷きにした『FUTON』から『小さいおうち』、『女中譚』、『夢見る帝国図書館』、『やさしい猫』など、作中に古典的な作品を宿している名作がいくつもある。 フィクションのなかで架空の人物たちが“実在の虚構”とふれあうことで、虚実は境を危うくし、新たな次元に飛翔する。 連作短篇集『坂の中のまち』にもそうした刺激的な出会いがあふれていて、ファンタジーとも幽霊譚とも違うスリルを味わえる。 語り手の「わたし」こと真智は富山に生まれ育ち、東京は文京区の女子大に通う女性だ。 学校に近い小日向に住む志桜里さんという祖母の旧友の家に下宿することになる。この人が大変な「坂マニア」なのだ。切支丹坂をはじめ地元の坂を知り尽くし、小日向坂を描いた小説や本を集めている。 六篇とエピローグから成る本作には、位相の違うストーリーラインがいくつかある。一つめは、真智の出自にかんする驚きのドラマ。二つめは、彼女の大学生活と恋模様と言うべきもの。三つめは、禁制下のキリシタンの物語。そしてこれらに絡まってくるのが、小日向にゆかりのある文豪や歴史的人物とその著作群だ。江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』や「黒手組」、遠藤周作の『沈黙』、安部公房の『鞄』と豪華である。 真智たちは此岸と彼岸、現実と虚構の境をこえて色々な人に出会う。「お雇い外国人」の妻や、昭和初期に生きているような男子学生、禁制時代のキリシタンの少女たち。 ちょっとした言い回しや戸惑いに対する中島京子の温かで鋭い観察眼には常々感嘆する。本作でも何度となく笑ったりうなったりした。 作者はどんなときも小説的な光がさしこむ小さな穴があるのを見逃さない。そうした気づきから読者を広大な創造の世界へと羽ばたかせるのである。 [レビュアー]鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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