スターダムとマリーゴールドを往来するSareee「闘いたい相手がいるリングに行くだけ」
「穴をあけてしまったのは本当に申し訳なかった」
実際、両者のシングルはすぐにおこなわれるはずだった。20年2・8後楽園での赤いベルト戦が発表されたのだ。が、直前になって中止。Sareeeが「急性腸炎および感冒による発熱」のため欠場となったのだ。が、これを機に岩谷には疑念が残った。このとき何があったのか、Sareeeはこのように当時を振り返る。 「試合の4日くらい前だと思うんですけど、体調不良から急性腸炎との診断をうけて、診断書も出してもらいました。感染の可能性があるとのことで、私はそれ(試合に出られないこと)を言っていたんですけど…」 しかし、団体側の発表は直前になってから。なんらかの行き違いがあったようだが、当時はちょうど新型コロナウイルスの感染拡大が懸念され人々が敏感になっていたとき。「感染の可能性があるなら迷惑はかけられない」と欠場の決断を下したSareeeには、後悔がずっと尾を引いていたという。 「その思いはアメリカに行ってからも引きずっていましたね。岩谷とは自分もやりたかったし、ファンの人も楽しみにしてた。穴をあけてしまったのは本当に申し訳なかったし、これは絶対にやらなければならない。岩谷との試合を日本に置いてきてしまった思いがあったので、帰国したら復帰一発目でやりたい。橋本千紘と同じくらいのレベルでやりたい選手でした」 23年5月に橋本と日本復帰戦をおこない、今年1月にシングルで勝利。ならば次は岩谷となるのだろう。しかし、どうしたら再会できるかわからない。そんな頃に飛び込んできたのが“親友”なつぽいからの連絡。負傷欠場からの復帰戦に力を貸してほしいという申し出だ。 「親友の頼みを断るわけにはいかないし、私だってやりたい。なので、すぐにOKを出させてもらいました」 これにより、待望のスターダム初参戦が実現した。3・9横浜武道館でライバル橋本と組んで、安納サオリ&なつぽい組と対戦。試合に勝ったSareeeには、スターダム参戦と同時に、もうひとつの目的があった。その答えは明らかだろう。 「岩谷がいるリングで行かないってないよなと思いましたね。参戦が決まったときから、何らかのアクションを起こそうと思っていました」 岩谷の前に立ち、対戦をアピールしたSareee。しかも岩谷はIWGP女子王者だ。ベルトこそ別になったとはいえ、IWGPの名称によって、よりいっそうSareeeの血が騒いだのである。 「私が日本に帰ってきた頃にちょうどあのベルトができて、絶対にほしいと思ったんです。IWGPと言ったら(アントニオ)猪木さん。アメリカ行く前に対談させていただく機会があって、すごくアドバイスをいただきました。父が猪木さんの大ファンで、小さい頃から私にも近く感じられる方だったんですよね。それもあって絶対に巻きたいと思ったし、岩谷が持ってるなんて、運命的じゃないですか!」 そして実現した岩谷とのIWGP女子王座戦。試合が始まるまでは岩谷の揺れる心に不安を抱いていたものの、闘ってみると両者とも最高のライバルと認め合った。と同時に、敗れたSareeeには「岩谷からIWGPのベルトを取る」との思いがより大きくなったのだ。 「やっぱり岩谷ってさすがだなって。自分も岩谷もなかなか上に行けなかったけど、やめずに続けてきた。あきらめなかったからいまの私たちがいると思うんですよ。あきらめずにやり続ける。それが一番強いんだなって思いましたね!」 またひとり最高のライバルを発見し、岩谷へのリベンジという課題も生まれた。このつづきはまた後日として、次はSareee、ジュリアとも熱望し続けた闘いだ。