女性宮家の先駆けといえる存在…「博士論文性胃炎」にかかり悲恋も経験した彬子女王の次の王道
なぜ、三笠宮家の彬子女王が注目を集めているのか。宗教学者の島田裕巳さんは「皇族の女性という場合、皇太子妃や皇后に関心が集まってきたが、女王が注目されることは珍しい。彬子女王は、今議論されている女性宮家の先駆けになる」という――。 【画像】皇室の新たなスターはこの女王。女性宮家の先駆けといえる存在に。 ■皇室の新たなスター誕生 日本の皇室に新しいスターが誕生した。 三笠宮家の彬子女王である。 イギリスへの留学記である『赤と青のガウン オックスフォード留学記』が文庫化され、ベストセラーになった。著者は、「徹子の部屋」をはじめとしたテレビ番組に次々と出演し、その存在が広く知られるようになった。 女王といえば、一般には「じょうおう」と読まれ、イギリスのエリザベス女王のように女性の王をさす。だが、彬子女王の女王は、内親王と対比されるものである。内親王が「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫」の女性であるのに対して、「三世以下の嫡男系嫡出の子孫」の女性である(皇室典範の規定による)。 昭和天皇の兄弟には、秩父宮、高松宮、三笠宮がいて、三笠宮の孫にあたる女性たちが女王と呼ばれる。彬子女王の父親は、「ヒゲの殿下」として親しまれた寬仁親王で、母親は麻生太郎元首相の妹、信子妃である。彬子女王の妹には瑶子女王がいる。 ■「博士論文性胃炎」にかかった女王 私も早速、『赤と青のガウン』を読んでみたが、とても興味深い本だった。それも、ただの留学記ではなく、オックスフォード大学で博士号を取得するまでの奮戦記だからである。 今とは違い、私が大学院生だった時代の日本の文系の大学では、博士論文など書かせてもらえなかった。指導に当たっている教授たちも、多くは博士号をもっていなかったからである。 その分、修士論文の比重が重く、しかも1970年代終わりにはワープロもなく、手書きだった。私の修士論文は300枚を超え、途中、とうてい書き終わらないのではと思うようになり、胃が痛くなった経験がある。生涯で胃が痛くなったのはそのときだけである。 その経験からすれば、オックスフォードという超名門大学で、しかも英語で博士論文を書くことがいかに大変かがわかる。彬子女王は、「博士論文性胃炎」にかかったという。その点には深く共感した。 皇室のなかには、オックスフォードの留学生が含まれている。現在の天皇夫妻、秋篠宮、それに寬仁親王である。他の国の大学に留学した経験をもつ皇族もいる。 また、秋篠宮夫妻は、博士号を取得しているが、どちらも日本の大学からである。高松宮妃は海外だが、名誉博士である。海外の大学で博士論文を書き、博士号を取得したのは彬子女王がはじめてのことである。