ピエール瀧と「毎日意味もなく会って…」 石野卓球が振り返る、上京当時の思い出と音楽
電気グルーヴの石野卓球が、「マンモス都市東京」をテーマに曲をセレクトした。 石野が登場したのは、3月28日(木)に放送されたJ-WAVEの番組『GRAND MARQUEE』(ナビゲーター:タカノシンヤ、Celeina Ann)のワンコーナー「RADIO ENSEMBLE」。東京のある街、ある商店街、ある路線……セレクターたちが東京のある場面をイメージした選曲をお届けするコーナーだ。
上京して初めて住んだ街は?
東京への想いや思い出について語りながら、ゲストの選曲をお届けする「RADIO ENSEMBLE」。今回は、電気グルーヴの石野卓球がゲストに登場。 1989年、石野卓球とピエール瀧らが中心となり「電気グルーヴ」を結成。2019年に結成30周年を迎えた。石野はバンド以外にもテクノミュージシャン、シンガーソングDJ、音楽プロデューサーと多岐にわたって活動。 まず石野は、選曲テーマについて説明した。 石野:「マンモス都市東京」ですが、マンモスはいません。「マンモス学校にはマンモスはいない」と、まったく同じことをバカボンパパが言っていたんですね。そこからテーマにいただきました。僕は静岡出身なんですけども、上京してかれこれ40年近く経ちます。東京に住んでいる期間のほうが長いので、なかなか客観的に見ることは難しいのですが、今日は東京をテーマにいくつか選曲してきました。 1曲目の選曲は、ベルリンのアーティスト・Die Raketenの『Tokyo Tokyo』。 石野:10年以上前に出た曲なんですけども、彼らが一度来日したとき、東京にすごくいい思い出があったそうなんです。そのあとドイツに帰ってからこの曲をリリースしました。東京に住んでいると、なかなかこういうタイトルで曲を作るのはむしろ難しいんじゃないかなと思います。 そんな石野が上京して初めて住んだ街は、京王線の笹塚駅周辺のエリアだったという。 石野:住んでいたアパートに最近改めて行ったんですけど、やっぱり建物はなくなり、周りの景色も随分変わっていました。笹塚はとても気に入って長いあいだ住んでいたんです。ピエール瀧も専門学校で一緒に上京してきたんですが、彼は隣の駅の幡ヶ谷に住んでいまして、当時お金はまったくなかったんですけど、時間はたっぷりあったので毎日意味もなく会って遊んでいました。そこから50歳を過ぎた今でも続いていて、仕事仲間にもなっているという。何がどう転ぶかわかりませんね。東京に出てきたからこその、人との縁なのかなと思います。