<プロ野球>ストッパーの起用法の“タブー”を犯してはいけない?
混セだ。どのチームも中継ぎ、抑えが安定していないことが、その混セを生み出しているのかもしれない。巨人は西村が不調。中日も岩瀬が戦線を離脱した。阪神も、福原、安藤という中継ぎ陣が安定せず、8日の広島戦では、オ・スンファンを8回途中から、イニング跨ぎで緊急登板して、カープ打線の反撃を抑えこんだ。しかし、近年の野球において、イニング跨ぎのストッパー起用は、タブーとされている。禁断の手を使ったオ・スンファンのイニング跨ぎは、果たして是か非か。 阪神の中西清起投手コーチは、試合後、「投手コーチの立場からすれば、できれば、こういう起用法はやりたくない。あくまでも状況に応じた緊急処置」と説明した。当初は、4点差があってセーブのつかない場面での登板だったが、9回の頭からオ・スンファンの起用を予定していた。だが、福原が二死からキラに2ランを打たれ、なお走者を2人出して、アウトが取れなくなった場面でオ・スンファンがスクランブル登板した。 イニング跨ぎ登板に、賛成意見を持つのは、自ら中日の現役時代にストッパーとして活躍した与田剛氏だ。「昔は、回跨ぎが当たり前でした。いつからこうなったかと言えば、ひとつは、メジャーの影響。日本では、ストッパーに負担がかかりすぎて故障などが続き、1シーズンのコンディションを考えたとき、1イニング限定にした方が球数も減って故障のリスクや好不調の波を減らすことができるというのが理由でしょう。ただ、当たり前だったイニング跨ぎを“特別”なことにしてしまっているような気がします。確かに登板に向けてのブルペンでの肩の作り方と、試合に入っていく気持ちの作り方は、イニングを跨ぐと難しくなりますが、本人に事前に『なぜイニング跨ぎで使うのか』というチーム事情などを伝えて準備をさせておけば、問題はないでしょう」。 メジャーで1イニング限定の「クローザー」という起用法が確立されたのは、1979年とされている。シカゴ・カブスのブルース・スーターと、のちにダイエーホークスでプレーしたニューヨーク・ヤンキースのリッチ・ゴセージが1イニング限定登板で、セーブ数を飛躍的に伸ばした。日本でのリリーフという分業制自体は、古くは、「8時半の男」と呼ばれた巨人の宮田征典氏が、リリーフとして活躍したのが、1965年。前後して中日コーチ時代の近藤貞雄氏も分業制を提唱するなど、1960年代からスタートしているが、現在のような1イニング限定のクローザーの出現は横浜の“大魔神”佐々木主浩からだとされている。1997年に権藤博氏がコーチ就任すると、登板試合数とイニング数がほぼ同じになっていく。前述の阪神投手コーチの中西氏が、虎の守護神として胴上げ投手となった1985年の彼の数字を拾いだすと、63試合に登板して107イニング3分の2を投げていて、まだ1イニング限定の時代ではなかったのである。