“頂き女子りりちゃん”はいま映画化されるべきなのか? 実話を基にした映画の役割を考える
恋愛感情を利用して、男性3人から合わせて1億円以上をだまし取った詐欺の罪などに問われた“頂き女子りりちゃん”こと渡邊真衣。渡邊のために情状証人として出廷した身元引受人である立花奈央子がプロデューサーを務める形で、ナラティブ・フィクション映画『頂き女子』が制作されることが発表された。 【写真】『頂き女子』の主演を務める月街えい(LADYBABY) 渡邊は幼少期に父親からは暴力を振るわれ、母親からは心ない言葉をなげかけられ、家族に“絶望”したという。自身の存在意義を感じるために体を売り、ホストクラブでかつてない充足感を得たことでお金を遣い続けることに。お金を得るために、嘘をつき、相手の男性を心配させることでお金を騙し取る。ここで、“頂き女子りりちゃん”が誕生する。(※) ここまでなら詐欺事件の一つとして扱われたに過ぎなかっただろうが、“頂き女子りりちゃん”は自身の成功体験をマニュアル化して配布。『1ヶ月1000万稼ぐ頂き女子りりちゃんの「みんなを稼がせるマニュアル」』は10万字以上のボリュームで販売され、同種の犯罪を助長する結果となった。 マニュアルを覗くと、誰かを愛したい人間の欲求をいかにくすぐるが懇切丁寧に書かれている。誤解を恐れずに言えば、“よくできている”。渡邊によって、およびこのマニュアルを利用をした人物によって生まれた被害者が多数いることは証明されているし、明確に罪を犯している以上、それを評価することはできない。しかし、彼女の存在、および彼女が生み出したものがなぜ多くの人の関心を呼び、支持され続けているのかは考える必要があるだろう。 今回の映画化発表に対して、「被害者の方のお気持ちは?」「被害者の気持ちを考えたことはあるのだろうか……」「映画にするなんて残酷すぎる」という言葉がSNSなどではあがっている。本作がクラウドファンディングによって制作され、かつ利益が発生した場合はその一部を渡邊真衣支援プロジェクトの資金管理会社(合同会社いぬわん)に寄付し、弁済に充てると発表されていることも否定の声に繋がる要因となっている。 当然、制作側もこれらの反応は予期していたはずであり、立花プロデューサーは「映像化に際し、犯罪行為を美化したり犯罪者をまつりあげる意図はありません。事件の背景と構造を読み解き、作品を通して広く知ってもらうことが、類似事件の防止や、社会問題の認知・改善に繋がると考えています」と“頂き女子りりちゃん”をポジティブに捉えるための作品ではないことを主張している。 本作が2年ぶりの監督復帰作となる小林勇貴も「社会の『溝』や『断絶』に焦点を当てています。(中略)社会の中で取り残された人々の声を届け、また現代日本が抱える課題についての議論を促す一助になればと思います」とコメント。 “頂き女子りりちゃん”の事件を描くことで、現代日本が抱える若者の苦悩や孤独を突きつけることによって、社会が変わるきっかけのひとつになること、誰かが救われること、類似事件の防止につながる可能性はあるだろう。「頂く」ことの社会的背景や、それをめぐる倫理観を問い直す彼女の生き方は、特に消費社会やSNSに依存した現代の中で、今後もますます重要なテーマとなっていくことは間違いない。それを映画を通して問いかける意義はある。 しかし、それらを誤解を与えず映画として描くには並大抵ではない覚悟が必要になる。映画は誰かを救いもするし、傷つけもする。これまでも数多くの実在の事件や犯罪を犯した人物を基にした映画が作られてきたが、本作の場合は遠い過去の話でもなく現在の話であり、実際の被害者もいる。課されたハードルは限りなく高いが、どんな作品として作り上げるのか。制作陣には事実に真摯に向き合い、いま作るべきものであることを作品を通して証明してくれることを願う。 参照 ※ https://note.com/inu2narenakatta/n/nc775b4bb3dc9 ※ https://www.tokai-tv.com/tokainews/feature/article_20240423_33962 ※ https://friday.kodansha.co.jp/article/395870
石井達也