東洋の精神性とアドベンチャーツーリズム【短期連載】なぜいま岡倉天心なのか(3)
天心が残した文化財保護の道筋
今日、日本は多様な変化に直面し、旧来の手法が通用しなくなっている。また、災害の激化や国際紛争の長期化など、モビリティ産業にもさまざまな課題への対応が求められている。そんななか、東洋美術研究家であり思想家の岡倉天心(1863~1913年)の哲学は、私たちに新たな指針を与えてくれる。天心の「柔弱」の思想は、強い力に耐え、変化に適応する力「レジリエンス」の重要性を説いている。彼が提唱する高付加価値の自然・文化体験型観光や伝統文化保存の重要性は、コロナ以降の観光産業の変化とも合致する。本連載では、天心の思想から日本とモビリティ産業の未来を探り、変革の道筋を明らかにしていく。 【画像】あなたも行ける! 岡倉天心「誕生の地」 ※ ※ ※ 岡倉天心は、中国やインドを訪れ、東洋美術のみならず、東洋の伝統文化や思想に開眼し、亡くなる直前まで文化財保護を強く訴え続けた。 1913(大正2)年8月24日、天心は腎臓炎に心臓病を併発、9月2日午前、50年の生涯を閉じた。実は天心は、病に倒れる直前の8月7日、古寺社保存会に出席、次のように主張していた。 「奈良大仏殿修理もようやく竣成を告げんとす。今後之に続いて着手すべきものは法隆寺金堂の修繕ならん。……残念ながら剥落甚しく、保存法を考えなければ、今後旧態を維持することは困難であり、憂慮に堪へず、さればこのような貴重品の保存維持法については、専門家を集め、研究を重ねてその最善をとるべきである。一日も早く本会より当局に実行されるよう提議すべきである(奈良の大仏殿の修理がようやく完了しようとしている。次に修理に取り掛かるべきは、法隆寺の金堂の修繕である。しかし、金堂の状態は非常に傷んでおり、保存方法を真剣に考えなければ、これ以上その旧姿を保つことは難しい。非常に憂慮すべき事態であり、こうした貴重な文化財をどう保存し維持するかについては、専門家を集めて十分に研究し、最善の方法を見つけるべきだ。できるだけ早く、私たちの団体から当局に対して実行を提案する必要がある)」 こうした天心の主張は、やがて1929(昭和4)年の「国宝保存法」、さらに1950年の「文化財保護法」制定へと受け継がれ、今日の文化財保護の礎になっている。 天心が守ろうとした日本の文化財が観光資源として重要であることは、いうまでもない。しかしそれ以上に、天心がその価値を称揚した「茶の湯」をはじめとする 「東洋の精神性」 こそが、「アドベンチャー・ツーリズム」の時代に改めて見直されつつある。