渡辺恒雄さん死去 政界から追悼の声…歴代首相らと親交深く影響力 「まさに“巨星墜つ”という印象」
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが、19日午前2時、肺炎のため東京都の病院で死去した。98歳。「ナベツネ」のニックネームで知られ、政財界に幅広い人脈を築いた渡辺さんの訃報に、政界から追悼の声が上がっている。 国民民主党の代表で現在は停職中の玉木雄一郎氏は、渡辺さんの訃報を受け「まさに“巨星墜つ”という印象」とつづり「戦後の政治やメディアに大きな影響を与えた人物であることは衆目の一致するところ」と回顧。「主筆の部屋にお邪魔した際、国民民主党のパンフレットが机の上に置いてあり驚いたことを覚えています。衆院選後の政治状況や我が党の在り方についてご意見を伺いたかったのですが、もはや叶わず残念です。心からお悔やみ申し上げます」と追悼した。 渡辺さんは1926年5月30日生まれ、東京都出身。東大文学部卒業後の1950年に読売新聞社に入社し、ワシントン支局長、政治部長、論説委員長などを経て、91年に社長、02年に読売新聞グループ本社の社長・主筆に就任。04年に会長・主筆となった後、16年から現職についた。2007年には、第54回カンヌ国際広告祭で世界のメディア業界の中から傑出した人物を讃える「メディアパーソン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。業界に数々の功績を残した。1999年からは日本新聞協会会長に就任し、政財界に幅広い人脈を築いた。中曽根康弘元首相や安倍晋三元首相との親交が深く、憲法改正について直接提言していたほどだった。 読売巨人軍のオーナーとして、野球界の発展にも寄与した。副社長時代の1989年、読売巨人軍の球団内で組織された最高経営会議のメンバーに選ばれ、その発言が球界に強い影響力を及ぼすようになり、1996年オーナーに就任。記者としての知識を生かし素早く野球業界について学び、球界の制度改革や新球団の参入、ドラフトの改革など新風を吹き込み球界発展の立役者となった。株式会社読売新聞社社長、読売ジャイアンツ(巨人)の球団オーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長を歴任した。