別居の危機も…64歳の夫が「定年迷子」から脱出するまで
子育てをして、子どもが育っていくと当然親も年を重ねていく。 人生100年時代、一般的な定年と言われる「60歳」前後は、人生も半ばだ。 会社員であれば、「定年」もある。子育てもある程度卒業し、会社からも卒業した時、いったいどうするのか。 【写真】かつては家事をほとんどしなかった夫の作ったお弁当 ジャーナリストの島沢優子さんは「定年迷子」になっている人が多くいると語る。では迷子になったあとどうすれば、その後の人生を豊かに生きられるのだろう。 夫の許可を得て、「迷子」から脱出したその経緯を綴った。
定年後の再雇用、会社を辞める決意を
あんなに嬉しそうな夫の笑顔は久しぶりだった。 「俺さ、ここに行こうと思うんだけど!」 額の汗をぬぐいながらポケットから出したスマートフォン画面に、白い建物が映し出された。看板を見て私はのけぞった。 「えーっ! ここ!?」 この日から1年程さかのぼる2022年11月。夫は定年後再雇用で3年務めていた会社に退職届を出した。翌年1月末をもって、デスク生活を含むおよそ40年間のスポーツ記者生活に終止符を打った。1980~90年代、大相撲やF1などのモータースポーツ、そして93年に開幕したJリーグなど日本のプロスポーツ、92年のバルセロナ五輪などを取材。米ワシントンで八村塁がドラフト指名される瞬間にも立ち会った。 「もう疲れた。しばらくゆっくりしたい」 そう話す夫に「ゆっくりすればいいじゃない」とその労をねぎらった。すでに子どもたち2人は成人している。同居する息子は経済的自立を果たし、私たちに食費を入れている。オランダで働きながらサッカーコーチを目指す娘も、移住生活をスタートさせていた。 「無職になるけど、よろしくお願いしまーす」 なにやらすっきりした顔で風呂場に向かう夫に「はーい。その代わり、家事よろしくね」とにわかにせり出してきた下っ腹を叩いて見せた。わかってますよ~という明るい声が背中越しに聴こえた。
「夫が家事をしてくれる」と喜んだのも束の間
長年共働き。2つの収入源でやってきたのが1つになった。片側車輪で運転できるのか不安だったが、8月以降は半額とはいえ夫の年金も入る。生活費は何とかなるだろうと考えていた。9月はラグビーのフランスW杯観戦などさまざま詰め込んだ欧州旅行を計画していたが、旅費は私の貯金で賄える。 「そうだ! 航空券とかホテルとかさ、パパが手配してよ。時間あるでしょ?」 ヨーロッパでの移動は欧州鉄道のフリーチケットを使うのだが、特急などは事前にチケットを予約する必要があった。複雑極まりない慣れない作業に、フーフー言いながら夫は取り組んだ。ママ友や仕事仲間から「家事やってもらえていいなあ」とうらやましがられた。掃除、洗濯、買い物も夕飯つくりも夫がやってくれる。朝ごはんは各自で。私は昼食だけ作ればいい。 「なんて楽ちんなの!」「自由に仕事出来るし、ジムに行く回数も増やせる!」喜んだのは束の間だった。 1週間ほど経過すると、夫は家事のコツをつかみ早々と終らせるようになった。予約作業もそこまで時間は使わない。よって、時間を持て余し始めた。ふと見るとリビングのソファで昼寝をしている。運悪く私の仕事部屋はリビングの吹き抜けになった3階にあるため、夫の様子がうかがえてしまうのだ。 (また寝てる! )と心のなかで毒づく。 (何かやりたいことないの? )と意地悪な気持ちになる。 (暇なら働けばいいのに! )プーっとふくれた。 ちょうど夫の税金の支払い金額が判明し、その額の多さに悶々としていたころだった。だが「ゆっくりすればいいよ」とねぎらった手前、私は寛容で太っ腹な妻でいなければならない。頑張れ、太っ腹! と、自らを叱咤激励するごとく腹をパンパン叩いた。