通常国会が大幅延長 国会の会期とは? 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
これまでは鈴木内閣の244日が最長
現在の日本国憲法が施行されて初の通常国会以降、会期が50日以上延長されたのは9回です(今国会を除く)。なお92年より前は前年12月召集なので表記が2年にわたっています。長い順から並べてみました (1)1981年~82年の244日。これまでで最長の延長幅でした。鈴木善幸首相のもと、これまで参議院の制度として存在した「全国区」を廃止して比例代表制度を導入しました。ただ歴史教科書問題や日米の貿易摩擦、国の収入(歳入)不足などの課題に迅速に対応できず力不足を露呈しました (2)1951年~52年の235日。吉田茂首相がサンフランシスコ講和条約を結び、発効した時期に重なります。公職を追放されていたライバル鳩山一郎氏が解除されて復帰、対立が公然化し、もめにもめました。閉会後まもなく衆議院解散 (3)2012年の229日。消費税増税を含む「税と社会保障の一体改革法案」可決成立に執念を見せる野田佳彦政権が決めました。結局は延長しても決めきれず、間を置かずに開いた臨時国会で当時野党だった自民党と手を組み成立。衆議院解散総選挙となり民主党は惨敗します (4)1968年~69年の222日。安倍首相の大叔父にあたる佐藤栄作首相が翌年に迫った安保改定と沖縄返還に関する取り決めで議論となりました。安保反対を唱える学生への対処に関する法律も与野党激突のなか成立しています (5)2011年の220日。同年3月に起きた東日本大震災への対応を確実にやり遂げるための大幅延長と菅直人政権は説明しています。補正予算案など3法案を「退陣のメド」と発言していたので延長国会で可決成立したのを期に総辞職しました (6)1984年~85年の207日。12月1日という異例の早さで始まり、中曽根康弘首相は懸案の日本電信電話公社の民営化(現在のNTTグループ)を決めたものの、防衛費のGNP比1%問題で国会が停滞し延長せざるを得なくなりました。男女雇用機会均等法や労働者派遣事業法のように今日につながる重要法案が可決成立しました (7)1999年の207日。小渕恵三首相は政権発足時の前年こそ綱渡りの政権運営に陥るも小沢一郎氏率いる自由党と連立して何とか持ちこたえました。発足当初、崖っぷちに追いやられた主な要因である、長銀や日債銀破たんなどの金融危機を克服すべく、緊急雇用対策関連を含む補正予算などを成立させるための延長でした (8)1959年~60年の200日。安倍首相の祖父である岸信介首相が成立を期した日米新安全保障条約の改定で賛否両論が激突した60年安保国会。成立と引き換えに首相は辞任 (9)2005年の200日。いわゆる「郵政国会」で小泉純一郎首相の持論であった郵政民営化法案の可否をめぐっては与党内からも反対意見が続出し後半国会が大混乱。延長してやっと採決に持ち込むも参議院で否決され、ただちに首相は衆議院解散・総選挙に打って出ました。(※当初議決された延長期間は205日間) こうしてみると首相が強いこだわりを持った法案審議のための延長(3・4・5・6・7・8・9)や政争がらみの延長(2・3・5・9)、今回と同じ安全保障に関わる延長(4・8)、国難に対応しようとした延長(5・7)などと分類できそうです。わずか3年半で3人も首相が交代した民主党政権のうち2人(3・5)が入っているのも大きな特長です。安全保障や沖縄に関わる延長をした首相が今の安倍首相の親族であるというのも因縁を感じさせます。 ちなみに、国会全体では、田中角栄内閣時代の1972年に召集された特別国会の280日間です。
--------------------------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】