東大出の元官僚で元巨人党という横浜DeNAの異色新社長は何を目指す?
横浜DeNAの新社長に就任した岡村信悟氏(46)は東大出で総務省から転職してきた異色のリーダーだ。買収5年で黒字に転じ、「第二ステージに突入した」という岡村社長は、何を目指すのか。独占インタビューの後半。人類の進歩。。。。という壮大な話が飛び出した。 ――そもそも、東大出の総務省・官僚の岡村さんが、なぜDeNAに転職を。 「総務省に21年間いましたが、46歳にもなりました。役所は今でも大好きですが、人生は一度しかないので違う生き方もしてみたいと思ったのです。南場オーナーには7年前からお誘いいただいていましたし、ついに屈服したという感じです(笑)。でも屈服したからには、どんな役割であろうと誠実に果たそうと決意しました。まずスタジアムの社長になりましたが、ベイスターズに来たのは幸いだと思いました」 ――それはなぜ? 「まったくの畑違いに見えるかもしれませんが、本質な部分は、これまでやってきた仕事(地場産業の育成)に近いんです。ベイスターズは公共財です。新たな『磁場』を作るためのセンスは、問われるでしょうが、違和感はないんです」 ーー球団トップが、何も元野球経験者である必要はないと思うんですが、野球愛がなければ駄目でしょう。スポーツマインドですね。例えば、大きい枠組みでの構想やマーケティング戦略を描くのと同時に、なぜあそこで、あのボールを投げたのか? とコンテンツのディテールに強い好奇心を抱かない人は、資格はないと思うのです。 「私も同じ考えです」 ――その点いかがですか? 「1970年生まれの人間って、野球愛どころではなく、生活に野球が染み付いているわけです。王さんの世界記録となる756号、ベーブルースの714本を抜いた本塁打も新聞記事を切り抜いていたほどです。野球帽も被っていましたからね」 ――では、ジャイアンツの帽子を? 「はい。巨人ファンでした。当時はアニメにしても何にしても野球と言えば、巨人が絡んでいました。みんなが野球をやっていた時代です。私自身、小1で父にグローブを買ってもらいましたが、野球がうまい人への憧れやコンプレックスがありました。野球は運動神経のいい人がやっていてヒーローになっていましたからね。私の弟の方は、運動ができて地域の野球チームに入っていましたが、私は残念ながら、そのタイプではありませんでした。とにかく知識から入りました(笑)。野球入門の基礎編や、野球のルールとか、本から入ってしまったおかげで詳しくはなりました」 ーースポーツマインドについては? 「スタジアムで興奮しないと駄目なんだと思うんです。私は横浜スタジアムの社長でもありますが、疲れたときにスタンドに出てみるんです。すると“気”が他の空間とは異なる。ほんとに晴れ晴れとした気持ちになるんです」 ――へえ。 「これでしょうね。魅力は。アメリカ映画のフィールドオブドリームスでも、そういう気が表現されていましたが、地霊というか、沸きおこる気があそこにはあります。日本野球の発祥の地でもあります。オカルト云々ではなく、伝統が生み出した力なんです。私は、それを信じたい。誰もいないグラウンドに立って青空を見るとエネルギーが沸いてきます」