初夜を前にそれぞれ慄く男と女 屈辱と別れの末の再会やいかに(レビュー)
この小説に心打たれるか、滑稽と感じるかは、読者の年齢、性別、育った環境で違うかもしれない。 1962年の英国。性の解放が叫ばれる時代の少し前。オックスフォードで式を挙げたばかりのカップルがイギリス海峡に面した古いホテルで新婚初夜を迎える。部屋に夕食が運ばれてきた。ドア越しには寝室のベッドが見える。今夜初めて結ばれる二人。新郎エドワードは、過去に失敗に終わった苦いセックスの経験があるのみ。期待と不安が交錯する。一方、新婦フローレンスはこれから起こることが恐ろしい。結婚前に読んだ花嫁のための進歩的な手引書に頻繁に出てきた不快な言葉の数々、とりわけ「挿入」には嫌悪を催した。それは「生理的嫌悪以上の、もっと根深いもの」で「彼女の全存在が反撥」するほどだった。食事が終わる……。 混乱と屈辱、愛と別れ。初夜の二人の心理と動作の一部始終を、作家は克明に描写する。痛々しいほどに。愛があれば、どんな困難も乗り越えられるという甘い恋愛小説ではない。取り戻すことのできない愛を描いた残酷な恋愛小説だ。 映画の邦題は『追想』。原作の二人は初夜に別れて二度と会うことはない。映画はこの部分を変え、万人受けする涙を誘う切ない恋愛ものになった。フローレンスは弦楽四重奏団のヴァイオリニストとして成功。コンサート会場の客席に年老いたエドワードの姿が。舞台の彼女が気付く。老人の目に涙……と本来はここでグッとくるはずのいいラスト。でも私はこのシーンにガッカリ。二人の老人メイクがわざとらしくて変な上、老け顔になっても姿勢や動きが若者のそれで、まるで高校演劇部。主演二人は若手のホープだが、違和感が残った。ここは年相応の俳優に演じてほしかった。 小説と映画の原題は『On Chesil Beach』。小説の邦題を『初夜』にするとは編集者は攻めましたね。この攻めの姿勢に拍手。映画の邦題『追想』は、イングリッド・バーグマンがアカデミー賞主演女優賞を取った’56 年の作品と同じ。アナタ方には過去の名作への敬意というものはないのか! まさか知らなかった? [レビュアー]吉川美代子(アナウンサー・京都産業大学客員教授) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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