栗野宏文が振り返る、ラフ・シモンズとカルバン・クライン──特集:2024年秋冬、新しいアメリカン・ファッション
国内外のファッションを長年見続けてきた栗野宏文が記憶に残るアメリカン・ファッションとラグジュアリーブランドの現在を論じる。 栗野宏文が振り返る、ラフ・シモンズとカルバン・クライン──特集:2024年秋冬、新しいアメリカン・ファッション
「This is not America」
イタリアの知人でサラという女性がいる。フルネームはサラ・ソッツァーニ・マイノ。ファッション業界に詳しい方ならばその名前から思うことがあるだろう。彼女は10 コルソコモを創設したカーラ・ソッツァーニの娘であり、ヴォーグ・イタリア編集長であった故フランカ・ソッツァーニの姪だ。サラはフリーランスでファッションにおける様々な仕事をしてきたが、僕は数多くの新進デザイナー・コンペティションで彼女と出会ってきた。 9月の楽天ファッション・ウィーク東京に招かれた彼女とディナーをする機会があり、お互いに業界が長いので話題は多岐に及んだが、特に熱が入ったのが世界のファッション業界の現状だ。僕がこの業界に関わって47年、サラのキャリアも長く、お互いに数多くのデザイナーやブランドの栄華盛衰を、誕生から成長、或いは大成功も失敗も衰退も含め目撃してきたが、そんな二人が強く共鳴するのが“ラグジュアリー・ブランド・ビジネス”の現状と問題点だろう。 LVMHプライズ、ウールマーク・プライズ、インターナショナル・タレント・サポートなどの審査員やコンサルタントとして活躍しているソッツァーニ・ファウンデーションのクリエイティブディレクターを務めるサラ・マイノ。 例えば僕は1998年、最初にエディ・スリマンがイヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ オム(YSL)を手掛け、とてもちいさな会場で初のランウェイ・ショウを見せた時から買い付けた。彼がYSLを去るまで見届け、エディが手掛けて大成功したディオール・オムも初回から彼の最終のランウェイまで現場にいた。この様な例は枚挙にいとまがないが、最近のラグジュアリー・ブランドを見ていて感ずるのは“あの頃とは違う世界になった…”ということ。 話題はショウに招かれたセレブリティの名前や所謂インフルエンサーのことばかりで、ショウで発表された服やそのクリエイションに関する話題はそれらの陰に隠れているかのようだ。ラグジュアリー・ブランドとはその資本力と知名度、歴史性や信頼を背景にファッションの“ある側面”をリードしてきた。 ジル・サンダーの2010年秋冬コレクション。ラフ・シモンズらしいシャープなテーラリングとミニマルな世界で話題を集めた。 ラフ・シモンズとカルバン・クライン 彼らは時代時代の“新たな美”や“新たな贅(ラグジュアリー)”を生み出そうとし、成功させ、ファッションの世界を牽引してきた。だが正直言って僕やサラには今その実感はない。ラグジュアリー・ブランドの創造性や影響力の中心を担ったのは主に欧州のメゾンだったが、アメリカで同様のアクションが試みられた事例もある。 その、21世紀の一例がカルバン・クラインではなかっただろうか? ブランドの始祖であるカルバン・クラインは独立した個人デザイナーとして出発したが事業拡大に長けた出資企業の戦略が功を奏し、コレクション・ブランドというよりもジーンズやアンダーウェア、そして香水で全世界的な成功をおさめた。カルバン本人が退任した後もブランドは継続したが、NYをベースとするブランドがパリやミラノのコレクションの常連ブランドに肩を並べる…というレベルでは無かった。 だがその機会は2017年に訪れた。カルト的な人気を持つベルギー人デザイナーのラフ・シモンズをクリエイティヴ・ディレクター(CD)としてキャスティングし、それまでのNYコレクションでは創出し得なったタイプのカルチャー色の強い、しかしセラブルなコレクションを実現したのだ。 カルバン・クライン(CK)社は彼をCDという立場以上にチーフ・クリエイティブ・オフィサー、つまりクリエイション担当の役員待遇で迎えた。それだけでも彼の力量や予想される効果への期待が伺える。或る意味の“マス・マーケット”におけるCKの成功と知名度、マーケティング力に“クリエイション”というドライヴィング・フォースが加わった訳だ。 それは、CKクラスの大規模なファッション企業における無敵の布陣とも言えそうだった。資本力、展開店舗数、知名度は既にあるのだから、あとはブランドとして強力かつ最新のエンジンが加わればCK社のヴィジョンは一挙にトップスピード化する、筈だった。 僕は1995年の初パリ・ショウルームからラフを知り、以来ずっと買い付けてきてラフの才能や彼を支えるチームのちからも理解してきたつもりだ。 そのラフがジル・サンダー、ディオールというブランドのCDを経た後、アメリカのビッグ・ブランドのクリエイティブ・フォースとなったのには誰もが驚き、大きく期待もした。ラフはベルギーのゲンクという地方都市の出身で、高齢の両親にとって大切な一人っ子だ。ラフはプロダクト・デザイン等を学んだがファッションは専攻ではない。だが、彼のセンスを見込んだアントワープ・アカデミーの伝説的学科長リンダ・ロッパの采配でラフはスポンサーと出会うことになる。 ラフ・シモンズというブランドはそこから始まった。一部で誤解されているが彼はアントワープ出身でもなく、アントワープ・アカデミー卒業生でもない。現代アートに強い関心を持ち、或る意味ジャーナリスティックに世界を見る視点を持ったラフのクリエイションがそれまでにない存在感を放ち、特に若い世代に熱狂的に支持されたキイはそこにある。それまでも若手のデザイナーや若者に支持されたブランドはあったがラフがブランドを立ち上げたとき、若者達、特にストリートカルチャー世代は‘自分たち世代のデザイナーがようやく現れた’と感じ、歓迎し、そして熱狂した。 ラフ・シモンズとはファッション業界初/発のストリート・インフルスなデザイナーであったと僕は分析する。ラフのコレクションのインスピレーションはスケートボーダーや反抗的な学生、或いはアートやアーティストに及び或るシーズンなどは都市ゲリラをソースとして一部で物議をかもした。それは有る意味確信犯的だったが、それもラフだ。 90年代後半に来日した彼は東京の渋谷にたむろしていた私立高校生の服に特に影響を受けたとも言っていた。私立高校のユニフォームであるブレザーを着てはいるがボトムスは極端なほどの腰バキの男子、傍に居る女子はルーズソックス…或る意味オリジナルでクリエイティヴな着崩し=スタイリングと捉えていた彼の視点に共感する。 一方、ジル・サンダーやディオール時代には極めてヨーロッパ的な美意識やディオールにおいてはクラスというコードも学んだ。 僕は何度か彼のインタビューを依頼されたことがあり、また、個人的にも信頼関係があったのでかなりインティメートな会話も交わしたが、ディオール時代の彼はクチュールメゾンのデザイナーとは「『顧客に奉仕すること』だと理解した」とコメントした。彼のある種の育ちの良さや知性や誠実さからそういった視点を獲得するのに不思議はなかったが、それでも‘おとな’な心境には驚きもあった。 2017年2月10日のニューヨーク その彼が紆余曲折の末、実にアメリカ的なカルバン・クラインという、メゾンというよりは大企業の大きな仕事を引き受けたのだ。2017年2月10日のNYは寒かった。前日の雪が多く残る厳冬の街。205W39NYCというカルバン・クライン社の本社所在地で敢行されたショウは良い意味で期待を超えたもので、その住所はそのままコレクションのネームとなっていた。僕はパリの国際的生地見本市プルミエール・ヴィジョンへの出張とNY出張を組み合わせて現場に向かった。 当時ラフが熱烈に支援していたアメリカの現代美術家スターリング・ルビーの作品が天井から吊り下げられた会場は無機質だが丁度良い広さで、かつインティメートな、つまりCKテイストとラフの美意識が良いケミストリーを生んだものだった。 モデルのキャスティングも新鮮であったし、音楽もラフさしさにあふれた選曲だ。コレクションは“アメリカの多様性に捧げたオマージュ”とアナウンスされていたが、時代的にはドナルド・トランプが大統領選で勝利した直後、リベラル自認する人々にとって或る種の暗雲が垂れ込めていた時期でもある。 そんな時期にラフが敢えて“アメリカの多様性”を謳ったのは明らかに彼からのメッセージであり、同年のラフ自身のコレクションでは星条旗をダークにアレンジしたTシャツが発表されたくらいだ。ちなみにラフが自身のコレクション発表の場をNYに移していた時期でもあったが、それはアメリカのファッション協会からの強い要請故であったと聞く。つまり、CKとコンバインされた建付けだったのだ。 ラフによる205W39NYCカルバン・クラインはCKのコードであるミニマリズムが無地のスーツやジャケットに巧みに取り入れられ、また数々の“アメリカン・アイコン”的アイテムが目立っていた。 マーチング・バンドのユニフォーム、ウェスタン・シャツやブーツ、ブーツカットのパンツ、レザーのボマージャケットetc…。一方で業界人の予想以上だったのは手の込んだ装飾や意外な素材使いだろう。プラスティックやビニールの使用、フェザーもあったように記憶する。 実際にカルバン・クライン・バイ・アポイントメントと題したクチュール的なラインの開始もアナウンスされていた。ラフxCKの初コレクションは業界人目線では成功だった。数々のアメリカン・アイコンとクリーンなクロージングラインの多用。 クリエイションの核を担ったのはラフが長年信頼してきた片腕とも言えるピーター・ミュリアーで、現在の彼はデザイナーとして新生アライアを牽引している。ショウ・スタイリングはオリヴィエ・リッツォ、キャンペーンフォトはウィリー・ヴァンデルペールといった現在のプラダにまで続く、ラフ・ファミリーである。 さて、ショウの〆はデヴィッド・ボウイがパット・メセニーと共演した曲「This is not America」。アメリカを代表する一大ファッション企業のカルバン・クラインに雇われ、コレクションにおいてはラフなりのアメリカ・リスペクトを示し、またアメリカ人アーティストのスターリング・ルビーを大フィーチャーしたラフ。だがこれから来るトランプ時代へのNOをそこで彼なりに発信したのではなかったか? 新生カルバン・クラインは多くの先端的ショップが買い付けた。ラフ以前のCKであったならドーバー・ストリート・マーケットやユナイテッドアローズの店頭にカルバン・クラインというネームが並ぶことは、少なくともアンダーウェア以外では考えられなかったであろう。 アメリカンなウエスタンディテールをポップかつモダンに仕上げた。 こうしてリブランディングに成功したかようにみえたカルバン・クラインだが、わずか1年半でこのコラボレーションは終了した。理由は売上の減少と発表されたが、デザイナーによるコレクションとは余程のハイプが伴わない限り、3シーズンを見ないと結果は判断できないものだ。デビュー・コレクションは話題性が重要、セカンドコレクションは如何に初回を超えた内容かが重要、そして、3回目とは初回の商品が市場に出た後なので、良くも悪くも結果が見えている。我々バイヤーやジャーナリストはこの暗黙の判断軸を知っている(筈だ)。だがCKは‘待てなかった’のだと思う。結局アメリカはビジネスの国。数字が全ての国である。 現在はプラダの共同クリエイティブディレクターとして活躍するラフ・シモンズ。 例えクリエイティブ・ビジネスと言えど、立てた予算や目指した数値が猛スピードで達成されない限り、答えは失敗なのだ。同業他社の事例を見ても、他業界の例をみても、スポーツウェアから量販店、或いは清涼飲料やホテルチェーンにしても数字がネガティヴだと直ぐにトップや責任者の首が切られ、挿げ替えられるのだ。 それをして“資本主義の鉄則”と今でも言うべきだろうか? 世界の価値観は大きく変化している。ましてやコロナ禍以降、所謂先進国に暮らす生活者達のマインドや消費傾向はドラスティックな変化のなかにある。冒頭に紹介したサラと僕が“ファッション業界、特にブランド・ビジネス”に対して抱いている危機感は既に現実化している。 カルバン・クラインxラフ・シモンズの顛末はその予兆だったのか…。 アメリカのファッション…という主題を考えるとき、僕は2017年を思い出さずにはいられない。 栗野宏文 1953年生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身。ユナイテッドアローズ上級顧問クリエイティブ・ディレクション担当。2004年に英国王立美術学院より名誉フェローを授与。LVMHプライズ外部審査員。2020年に著書『モード後の世界』(扶桑社刊) を出版。無類の音楽好きでDJも手掛ける。
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