OB会長の桑田真澄氏が「復部へ前向きな話ができている」と報告したPL学園野球部の復活は本当に可能なのか?
桑田、清原和博両氏のKKコンビを率いて全国制覇、1987年には立浪、野村弘樹両氏らを擁して春夏連覇を成し遂げた名将、中村順司元監督(73)も「マスターズ甲子園」では総監督を務め、代打で登場したりした。この日、総会に出席した中村氏は、「57年ぶりに甲子園の打席に立ちましたが、銀傘からの歓声が凄かった」と振り返った。再開へ向けては「僕も若くはないが、力になりたい。望むのは、これまで通り球道即人道、勝っても負けても淡々とPLらしい野球をしてほしい」と復活へエールを送った。 この日の総会に出席した大物OBからもバックアップの声が上がった。1987年の春夏連覇メンバーの元中日、立浪氏は、「OB会に出席するのは今回が初めてなんです。桑田さんに”ぜひ”と誘われ、同期の片岡には”顔を出せ!”と言われた」と、出席理由を明らかにし、「卒業してからPLが甲子園で試合をしているのを見るのが楽しみだったので寂しい思いをしていた。最近の大阪は大阪桐蔭、履正社が目立つ。もう1回、PL学園を見たい」と復活を願った。 同じく春夏連覇に貢献し、1年生のときは桑田氏の付き人で、清原氏と同部屋だった現在、佐川印刷監督の深瀬猛氏(50)は、コーチとして2008年夏から2015年夏まで存続に揺れる母校を支えてきただけに「(教団と)話し合いの場が持てたことはうれしい」と実感を込めた。彼らの1学年後輩で元ヤクルトの宮本氏も「正直難しいかなと思っていたが、復活の可能性が少し出てきたのはうれしい。いまの自分があるのはPLで忍耐、辛抱、気配りを学んだおかげ。復部の話が出て、みんなが一致団結してやっていこうという思いが強くなった」とバックアップを約束した。 もっとも野球部の復部が具体的に動き始めたわけではなく、今後については不透明な部分が多い。桑田氏は「早さを競っているわけではない。いまはタイミングやどんな野球部を作るか模索している段階。教団側の意向に沿いながらよりよい野球部になるように、ひたすらバックアップしたい」と話した。復部する際、新入部員の募集からスタートしなければならないため、いくら早くとも2021年以降にはなる。 ただ桑田氏は、復部がなしえた際、監督就任する考えはあるのか?の質問に「そこまで考えたことはない」としながらも可能性があることを示唆した。 「僕だけでなくOBなら監督をやってみたい思いはあるはず。そういう夢はあります」 関係者の間では、桑田氏を総監督にすえて再建すればどうか、との意見も出ている。