「成功した親」の子の将来が“むしろ危ない”のワケ 「AIに左右されない仕事が強い」に隠された盲点
にもかかわらず、まだ30代であっても、そうした発想転換ができていない人がたくさん見受けられます。 彼らは、子どもたちが鋭い肌感覚で進もうとしているのに、その道を理解できず、自分の価値観の古さに気づかず、よかれと思って我が子をミスリードしてしまいます。 私の塾では、親子揃っての面談をよく行います。加えて、子ども本人とだけ話すこともあるし、親からの相談を受けることもあります。要するに、子どもたちの傾向と親たちの傾向の両方がわかっています。
そうした経験を通して強く感じるのは、「一部の“わかっている親”だけが、相当先を走っている」ということです。 大半の親は、わが子の将来どころか、今はそこそこ稼げている自分の数年後がとんでもないことになっている可能性についてさえも、大甘な認識しか持っていません。 一方で、かなり鋭い親はすでに動き始めており、結果的に、子どもたちに大きな格差がついてしまうだろうと思えるのです。 ■スコア化で見失っているもの
もともと私たちは、なにかの根拠として数値を欲しがりました。偏差値も会社の人事査定もその1つであり、デジタル化が進めば、スコア化はさらに進みます。 スコア化は、コストパフォーマンス・タイムパフォーマンス(以下、コスパ・タイパ)の面で非常に優れていますが、一方で、案外大事なものを見落とします。 新型コロナが流行り始めた当時は、盛んに「体温37.5度」が用いられました。美術館もイベント会場も飲食店も……あちこちに体温計が用意され、「37.5度以上の人はお断りします」という姿勢が貫かれました。
では、37.4度なら感染の疑いはないのかといったら、医師ですら確かな返事はできなかったはずです。ただ、なにか判断の拠りどころが必要だったために、みんなでそのスコアを基準に動いていたわけです。 スポーツのチームが新たに選手を選ぶときにも、たびたびスコアによる選別が行われます。たとえば、身長175センチ以上という数値基準を設ければ、174.5センチの人ははじかれます。どれほど優れていても、はじかれるのです。