映画『SUPER HAPPY FOREVER』はなぜいまつくられたか。五十嵐耕平監督・山本奈衣瑠らの言葉から紐解く「同時代性」
「いま」つくるべくしてつくられ、「いま」見るべき映画。本作が持つ稀有な「同時代性」
本稿の冒頭でも触れた映画のファーストシーンで、2023年の佐野は大きなバックプリントが入ったスポーツブランド「アンブロ」のTシャツを着ている。そして、2018年の旅行の最終日に佐野と凪が再会するシーンで彼が着ているのも、同じアンブロのTシャツだ。ある意味、本作を象徴するアイテムの一つといえる。 2018年と2023年という2つの時間軸を描きながら、その時間がひとつながりであること、登場人物たちにとっては2018年も「いま」であることが示されているように感じる。たとえば、佐野と凪の関係性。凡百の作品ならば、2つの旅のあいだにある2人の時間や、凪の死の顛末が語られるだろう。しかし『SUPER HAPPY FOREVER』には、伊豆での時間だけが粛々と写し出される。佐野、そしてもしかすると凪にとっても、あの時間こそが「いま」なのだ。 「過去」でも「未来」でもなく「いま」を描き切る。現実と隣り合わせな物語でありながら、テーマに手垢のついた古臭さを一切感じさせない。作品タイトルとも強く結びついているスピリチュアルな「運命論」に対しての各登場人物の向き合い方も、数年前の作品ならこうはならなかっただろうと感じさせるものだった。 2024年に封切られるのが「運命」だった――。そういわれて納得できる「同時代性」を持つのが『SUPER HAPPY FOREVER』だ。現代を生きるあなたはこの映画を見て何を思うか。劇場で確かめてほしい。
取材・テキスト・編集 by 生駒奨